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神の存在/不在と科学の範囲

19名無しさん:2006/12/26(火) 23:51:45 ID:Zs9mFctg
■地上のことと、天界のこと

佐倉哲氏のホームページ(ttp://www.j-world.com/usr/sakura/index.html)にある見解で
私にとって「深く深く頷けたことば」があります。
それは「地上のことを云うとき、そのことばは検証にさらされる」という意味の説明です。

すべからく、この世界、つまり地上にある「ことば」というものは私たちニンゲンの属性であり
価値であり、意味であると云えるでしょう。もしかすると実際に「歴史的事実として」神と名乗る
存在がニンゲンと接し、なにがしかの奇跡を行った、あるいは伝えたのだとして、それを記録し
他者に伝える術は「ことば」にほかなりません。

つまり、過去にあったとされる様々な「神の業」は、それらが実際にあったなかったに関わらず
すべてことばによって伝達されています。この不完全なことばという「道具」は、それ自体に
事実を担保する能力はありません。「私は神に会った」といくら述べても、それはなんの根拠も
持たないひとつの「命題」に過ぎません。よって、ことばは検証という過程を経て「確からしさ」を
獲得していくのでしょう。

科学的手法において見る限り、ことばによって記述された言明はすべて検証の対象となります。
経典であろうと聖書であろうと、ことばで記述された文書はすべて検証することができるし、
現代においては映像であろうと音声であろうと同様です。

私たちニンゲンは恐ろしく無知で粗野で「間に合わせ」の道具しか持っていないのですから
非常に不完全な「ことば」が検証され、矛盾や嘘、誤った記述が指摘されたとしても
そこで失われるのは「ことばの信憑性」に過ぎず、果たして奇跡が本当にあったのかどうか
あるいは、神が存在するのかしないのか、という事象が、根底から崩れるということはないでしょう。

私たちが検証できるのは、せいぜいそれくらいのことです。


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