したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

トンデモネタに対する突っ込み用情報ソース備忘録

38はやし:2006/08/28(月) 19:18:36 ID:KpWBAdEc
ここの皆さん方はなぜか木村の中立説などの特定の専門分野にはお詳しい方が多いようで、それはよいですが、お見受けしたところ他の分野(特に量子論)には伝聞程度の知識しかないのではと思われますので、この場を借りて不肖はやしの講義をさせていただきたいとぞんじます。

以下はやしの講義:
量子力学とはなんぞやというのはあのアインシュタインでさえはじめは理解できなかったほどですから非常に難しく、おそらく今日の物理学者の間でもいろいろな見解に分かれるでしょう。しかしそれは少なくとも古典力学の素朴実在論的な物質観を根本から変えてしまったことは確かです。それまでの物質観というのはビリヤードの玉のような硬い粒子のイメージであり、そのイメージはラザフォードの原子核発見ぐらいまでは確かに正しくみえたのですが、電子や素粒子のふるまいをもっと深く調べようとしたときにひとつの根本的な矛盾に出会ってしまったわけです。それがハイゼンベルグによって定式化された不確定性原理というものです。それはどういうことかといえば素粒子のふるまいは観測者(すなわち人間)の主観から離れて客観的に測定できるものではないというものです。つまりこれはどういうことを意味しているかというと、それまでの物質観では、人間の主観とはまったく関係なく物質(すなわち自然)が存在しているものと信じられてきました(これを素朴実在論といいます)が、不確定性原理により物質の存在は人間の主観と切り離してああだこうだとういうことはできないということを意味しております。これはまたある意味で世界観の革命が起こったということを同時に意味します。
この革命の意味をもっと分かりやすく(はやし流に)かみくだいてご説明しましょう。ご承知のように近代以前のヨーロッパ中世哲学における世界観はアニミズム的な世界観(それは主にアリストテレスの自然学でした)でありましたが、ガリレオ、デカルト、ニュートンによって完成された慣性の法則により、物質の中にはなんらアニマ的な要素は無いということが確認されるにいたり、物質というのは本質的に受動的で無機質な客観的実在であるという認識が一般化しました。この認識の下に分子や原子が発見されていったわけですが、科学者がそのもっと奥深くにある物質の根源にまで立ち入ったとき、そこで出合った物質粒子はまるで幽霊のような存在であったというものです。つまり物質というのは決してビリヤードの玉のような分かりやすい存在ではなく、それを突き詰めようとすればするほど正体の定まらない存在だというこになってきたわけです。それはもはや人間の意識というものと切り離して考えることさえも許されない存在でさえあるということを意味しております。(以上第一講終わり)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板