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進化生物学の誤用を考える

179えめ:2006/09/13(水) 14:29:21 ID:7Sh/D6yw
えー、広い意味での生物進化学の誤用と言う事で W

金魚レスを続けている内にふと思いついたんですが
飼育下に於ける家畜の形質変化の固定、言ってしまえば品種の形成プロセスは
生物とミームの共進化現象とは言えませんかね。

金魚のバリエーションを考えると、ある種の鮒には独特の体色や大きな鰭などが自然状態で存在していた。
(生物としての前適応に当たりますな)
人間も好奇心から、珍奇な物、珍しい生物を望む性向があるが、発祥地の中国に於いて赤は縁起のいい色とされ、
文字が違っても(異語)でも発音が同じなら(同音)縁起のいい響きを喜ぶ文化が既に存在した。
 これは文化・ミームの側の前適応。
赤い体色を持つフナ(生物)と文化(ミーム)が出会い、互いに共進化が始まった。

 金魚はその体色(赤・朱)や名前の響きから(金魚はチンユイと発音され、中国では金が余る事を 《金 食余》=チンユイと言う)文化として取り入れられ、文化としての淘汰を受けた。とまあここまでは普通なんですが、品種形成に当たってのプロセスを、生物学的な変異がミームの側にも影響を与え、それが又生物に対する淘汰圧の変化を促すと考えたなら、これは人間を仲立ちとした生き物とミームの共進化とはいえまいか。と考えた訳です。

始めは曖昧なで単純な金魚観、(淡水の魚類で通常とは違う黄から赤の体色を持つ物、一部赤味が着いたものからアルビノまでが含まれたらしい)から特定の魚→飼育された主に緋色のフナを指す言葉に変化する。

生物の側のランダムな変異、例えば出目性や体型の変化が金魚観と言うミームに新たな複雑さを与える元に成る。変異がミームの側に受け入れられると(出目金は「竜晴」と呼ばれ、やはり縁起が良いそうな)。形質に対する新たな(人為)淘汰が起き、その形質は性淘汰のように生物的な折り合いをつけた部分で完成し一定化する。これが品種。

 金魚ミームが広まっていくと飼育法や様々な意匠(デザイン)が産まれ、それが又、選択圧となって金魚の側の些細な変化への感性となって淘汰圧に予め変更を加える事もあるだろうし(理想の金魚を目指す、とか)、更にはミームの影響力が増すと、遺伝に頼らない変異をも作り出すことにも成る。(名古屋の天然記念物である地金は鱗の配色に外科的手法を用いる場合があるそうで)

ミームは世代を超えて遺伝する。絶滅した、と思われていた品種が愛好家の手によって”復活”することもある。
イセハナフサと呼ばれる金魚は明治の中ごろには滅んでしまったと言われるが、現在品種は存在している。
経緯は不明だが、実際に個体としての品種が滅んだ後復活したなら、ミームはこの時点で生物の個体も跳躍してしまうのだなと。
(復活の手法としては日本の金魚の系統は複雑なので、イセハナフサの特徴を残した金魚を掛け合わせ、より文献に近い子を選別していったのではないか?)

逆に、品種と言うミームは完成と言う限界を持つ。生物は完成しないがミームとしての品種は完成形を持っている。
品種の範囲に入らない形質の金魚は駄金となって淘汰の対象に成る。尤も奇妙な形質でも受け入れられた場合、新たな品種は新たなミームと成る場合もあるが。 

 生物界に於いて共生関係は少なからずお互いの進化を促すのですが、人間と家畜の関係にはそれが見られない。
ならば変わりに何が変わるのだろうと考えていたらミームの共進化という発想が浮かびました。
実はミームについては良く解ってません W これから図書館へ行ってくる予定です。

ラマルキズムのレスをグダグダしてる内に妙な発想が出来て暫く面白かった。

 親の小言となすびの花は千に一つも無駄がない、て奴ですかね。


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