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雑談スレ
718
:
正樹
◆6z10n91cnw
:2007/09/16(日) 21:54:29
>>717
>輸送費の面で厳しいでしょうね。
輸送費が問題ですね。衣類ならデザインの余地があるので、デザインが良ければ
多少は価格が高くても競争力がありますが、クリアファイルなどは、デザインの
余地が殆どありませんからね。
でも、何とかインド製品に頑張ってもらいたいと思います。
>すでに中国へ投入してある日本企業の資本もダメージを受けるだろうし
日中間の武力衝突になったことを考えると、中国進出日本企業を見捨てた
方が安上がりだと思うのですが、難しいところですね。
>そういや、倉前盛通って何者?
小室直樹氏との共著としては『世界戦略を語る』(世界戦略研究所)があります。
『悪の戦争学−国際政治のもう一つの読み方』(倉前盛通)
(太陽企画出版:昭和59年10月15日第1刷)
著者紹介より
大正10年鹿児島生まれ。熊本高等工業学校冶金科(現熊本大学
工学部)卒業。
東北大学金属材料研究所、アジア経済研究所を経て、現在、
亜細亜大学教授。
ベストセラー『悪の論理』は政財界人を始め、日本のあらゆる
分野の人々に、多大な影響を与えた。国際問題の研究に、戦後タブー視
されていた「地政学」を導入し、独特の情報分析を展開する。本書で、
氏は古今東西の戦争の実際を題材にしつつ、狭義の軍事学を遥かに
超えた戦争学とは何かを、明らかにしてくれた。
−48頁−
私が学生だった昭和13年頃、熊本の繁華街に酒を飲みに行くと、
熊本に司令部を置く第六師団の下士官たちと、よく一緒になった。
彼らは支那の戦場から帰ったばかりのバリバリの猛者たちだったが、
こちらが工学方面の学生だと知ると、「頼むから、故障しない機関銃を
作ってくれよ」と戦場の話を聞かせられたものである。
−118頁−
戦時中、大学の研究所で電波兵器関係の研究をしていた頃でも、
陸海軍の違いの大きさは、しばしば痛感させられたものである。
研究所には、陸軍技術本部の人間も顔を見せていたが、ヅカヅカと
現れては、「どうだ、研究は、どこまで進んどるか」と言う調子で
聞くのである。こちらとしても、「威張りくさって、何を言いやがる」と
言った具合で、いい気持ちはしなかった。
それが海軍の場合は、艦政本部から大佐クラスの高級将校がやって来て、
こちらはまだ22,3歳の若造だと言うのに、「いかがでございましょうか。
研究は進んでおりますのでしょうか。ひとつ、宜しくお願い致します」と、
極めて丁重だった。しかも、「ご不自由な物がありましたら、何でも
持って参りますから」と、缶詰のぜんざいなどを差し入れて行く
のである。
甘い物は、当時は貴重だった。それを差し入れてくれるのだから、
研究員は、みんな喜んで、海軍の研究に熱が入ったことは当然の
ことだった。更に海軍は、実験材料についても、タングステンなどの
極めて手に入りにくい金属であっても、直ちに届けてくれると言う
気の配りようであった。その点、海軍の方がスマートだったと
言って良い。
>「零戦よりも手ごわい」とのアメリカ側の記述もあるはずで、「遥かに」なほど
>零戦が優れてるとは
そうですか。図書館で借りてくる本を含めて、私が手にする本は、零戦が
優れていて、隼はダメと記述している本ばかりで。
>図面上で画期的な兵器を作っても、実用できる技術力と工作機械が無いのが
>当時の悲しい実情。
やはり、工業技術力を十分に高めてから戦争に着手しないと、ぶっつけ本番と
言うか、一夜漬けで試験勉強をするように、勝利を得る可能性は低くなりますね。
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