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98名無しさんは神戸学院大:2013/07/09(火) 13:53:20 ID:LugPzQAU0
昼夜を問わぬ異常な激務を同僚でさえ見て見ぬふり!
夫の過労死をめぐって組織の闇と戦った妻の25年間
【第1回】 2013年7月9日
吉田典史 [ジャーナリスト]

■「泣けるのはまだ余裕があるから」
突然、夫の死を告げられた妻は……。
 死は、急に告げられた。
 1988年7月2日の午前3時、万世橋警察署(千代田区)から自宅に電話が入る。警官は「遺体の確認に来てほしい」と言う。馬淵さんは夜の明けた後、駿河台日大病院(千代田区)に駆け込んだ。夫が横たわる。冷たくなっていた。
「涙が出なかった。泣けないのよ……。泣けるのは、まだ余裕があるからだと思う」
夫は外資系海事会社の日本支社で、鑑定人(サーベイヤー)として働いていた。その日は、千葉県君津市の港で仕事を終え、JR秋葉原駅で最終の山手線に乗り換えようとした。そのとき、心臓発作に襲われ、息を引き取った。
 馬淵さんは、遺体をみつめながら「過労死」であることを確信した。その場には、上司も駆けつけた。動揺していたという。
 馬淵さんは、その場で思った。過労死であることを会社や行政に認めさせたい、と。それが、夫の無念な思いを晴らすことになる。その場で怒りをぶつけることはしなかった。
「業務上の死であり、過労死であることを認めさせるまでは……。そのためには、会社に様々な書類を提出してもらわないといけない。同僚らの証言も必要になる」
 馬淵さんは、冷静であり続けた。過労死の認定を勝ち取ろうと、署名集めをする。
「こういう死を許してはいけない。会社はあれほどまでに酷使し、いざ死んでしまうと、業務上の死とは認めない。それは、あまりにも不合理……」
 馬淵さんは農業団体で働き、2人の娘を養いながら闘いを続けた。当時は過労死の存在すら、社会で広く知られていなかった。




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