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小谷野 コピペ

280stzz:2007/11/28(水) 02:11:25
708 > すると「どうして辞めたの〜?」というのは、それを知ってのことだったのだと、謎が解けた。

意味がわからん。 判った人いる?

709 分からん
しかし、とりあえずこれが 書き手の中で完結していて、他人に読ませる文章じゃない ということだけは分かる

これが酔った勢いで書き込んだものでなければ かなり「危ない人」の方に踏み込んでるようにさえ思える

710 不安神経症だというからね。 正常な人ではないんだろうな。

711 (無料Blog なんだから、説明不足はしょうがないと思うが)

2007-11-24 長崎暢子先生と長野順子先生

別にこれは教わったわけでも面識があるわけでもないのだが、東大にいたインド史の長崎暢子先生は、定年になって龍谷大学教授になった。

それで以下の話はどこで聞いたのかまるで忘れているのだが、当時鶴田欣也先生も龍谷大にいて、鶴田先生は女性と親しくなるのがうまい人なので、

長崎先生に「どうして(東大を)辞めたの〜?」などとからかうように訊いて長崎先生が「あら定年になったからよ」と答えたという話で、

私にはさっぱり意味が分からずにいたのだが、先般ウィキペディアを見たら、夫は京大東南アジア研究所の杉原薫、とあってびっくりした。

だって長崎先生の夫は長崎浩だったんだもの。それで調べたら長崎浩はいつの間にか東北のほうの新設私大の教授になっていた。

杉原薫は、もし本当に夫だとすると、11歳年下である。すると「どうして辞めたの〜?」というのは、それを知ってのことだったのだと、謎が解けた。

712 ■ 長崎 暢子(ながさき のぶこ、1937年12月20日 - )は、日本の歴史学者で、東京大学名誉教授。専門は、インド近代史、南アジア地域研究。

東京出身。新宿高等学校卒、1961年東京大学文学部東洋史学科卒業、63年同大学院修士課程修了。
65-67年国際インド学校に留学、東京大学東洋文化研究所助手、1976年、東京大学教養学部助教授、87年教授、97年定年退官、名誉教授、龍谷大学国際文化学部教授。

夫ははじめ評論家の長崎浩、現在は経済学者の杉原薫京都大学東南アジア研究センター教授。安保闘争で犠牲者となった樺美智子は同級生。

↓ 例によって、Akoyanoが書き、松茸のチェックが入っている。(松茸はCategoryを変更しただけ?)

■ 長崎 浩(ながさき ひろし、1937年5月 - )は、社会評論家、身体運動学者。
東京生まれ。東京大学理学部卒、同大学院修士課程を経て、東京大学物性研究所、東北大学医学部リハビリテーション医学研究施設、東京都老人総合研究所勤務、1960年安保運動の闘士、
その後も左翼の活動家として著述活動を続けていたが、1999年から東北文化学園大学医療福祉学部教授。元の妻は東大名誉教授の長崎暢子。

■ 杉原 薫(すぎはら かおる、男性、1948年8月3日 - )は、東南アジア研究者、京都大学東南アジア研究所所長。
1971年京都大学経済学部卒業、1976年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得中退、1974−1975年エディンバラ大学留学。
1976年丸紅ダブリン事務所勤務、1978年大阪市立大学経済学部助手、1981年助教授、1985年ロンドン大学SOAS歴史学部講師、1991年上級講師、1996年大阪大学経済学部教授、2006年京都大学東南アジア研究所教授。
1996年『アジア間貿易の形成と構造』で東大経済学博士、日本経済新聞経済図書文化賞、サントリー学芸賞受章。


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