[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
コンピュータ GUI インターネット
171
:
名無しさん
:2005/06/18(土) 03:16:23
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4835528530
駆け出し数学者ドイツに行く---- 高山 幸秀 (著)
計算機科学者を廃業し純粋数学に転向した著者がドイツのエッセン大学で数学修行の日々を送る。それは「天国の日々」であった。本書は可換代数学の世界的権威者ヘルツォーク先生と交わした議論やドイツ語の辞書を片手に悪戦苦闘する日常生活の日々を軽快なタッチで日記風に描く。同じ敗戦国とはいえドイツはまだ日本で失われた大切なものがあることに気づく。
高山 幸秀
1958年(昭和33年)10月三重県津市に生まれる。1983年(昭和58年)3月京都大学理学部卒業。同年(同年)4月沖電気工業株式会社に入社。1985年(昭和60年)6月~1989年(平成元年)9月財団法人新世代コンピュータ技術開発機構に出向。1991年(平成3年)理学博士。1992年(平成4年)立命館大学理工学部情報工学科助教授。1994年(平成6年)同情報学科助教授。1996年(平成8年)9月~1997年(平成9年)3月京都大学数理解析研究所長期研究員。2000年(平成12年)立命館大学理工学部数理科学科教授。2000年(平成12年)9月~2001年(平成13年)3月エッセン大学客員研究員
隠れた人気ジャンルの久々の良書, 2003/09/17
レビュアー: カスタマー 京都府右京区
「学者の留学記」というジャンルがあるとすれば、日本においてこのジャンルは盛況である。森鴎外『独逸三部作』に始まり、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』、渡部昇一『ドイツ留学記』など枚挙にいとまがない。この盛況は日本が「ヨーロッパ式の近代化」を行ったことに起因するのだろう。ヨーロッパ式近代化の当然の帰結として、近代知の担い手である学者たちは西洋世界へと留学することになる。それは義務であり特権である。だが従来のような留学記は急速にその魅力を失いつつある。福沢諭吉がsometimesを「ソメチメス」と発音していた文明開化の時代ならいざ知らず、半年程度の留学ならば誰でもできる現代において、ヨーロッパ滞在記というだけでは価値は見出せない。さらに「学者」という身分の持つ中間・境界的要素(業界では有名人、業界外ではただの人)もある。自らが学者であるというだけで、その日常生活に一般人が見習うべき事柄があると信じているとしか思えないような記述も散見される。だが、現在においてはヨーロッパがその地位を失ったように、学者もただ学者というだけで崇められる時代ではない。このようなことを考えたとき、本書は極めて魅力的な留学記である。著者の一個人としての素直な生活誌が読み取れる。観察力に富んだ描写、文章は韜晦的であり、著者自身の手による絵も素晴らしい。真に魅力的な人間にしか書けない本である。隠れた人気ジャンル「学者の留学記」に現れた頼もしい一冊だと思う。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板