したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

ドイツ語 Deutsch

23名無しさん:2004/07/05(月) 12:39
直接ニーチェ的というのではないと思われます。こんな句が出てくるのは、聖書も熟
読したからでしょう。聖書も読み、ニーチェも読みでは、節操がないと思われるのか
もしれませんが、その根っこにあったのは、おそらく、ニヒリズムとの戦いです。虚
無主義に陥らないためには、どういう方向性があり得るのか?という。その探究のな
かに、いくつもの相容れない西欧思想が入ってくるのではないか。キリスト教徒もニ
ヒリズムと戦ってきました。しかし、草田男はキリスト教徒になってニヒリズムに抗
するという道を取りませんでした。だからこそニーチェを熟読したのではないでしょ
うか。キリスト教徒でなくても「地の塩」を入れた句を書いたように、ニーチェ的に
生きるわけでなくてもニーチェの言葉を入れた句を書いているのかもしれません。

草田男がお好きな方、是非、全部読んで調べてみてください。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板