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「崇拝」と「崇敬」

1へっぽこ:2004/03/22(月) 00:29
イエスの母マリアを「崇敬」するべきだが、「崇拝」
するべきではない。
「崇拝」は神に対するものであるから、「人」にしてはならない。
「神格化」とは、およそクリスチャンである限り、「父なる神」と
同一である事を意味する。だから、マリアを「神格化」している
教理は、まともなキリスト教ならば、オーソ/カト/プロすべて
有り得ない...と

11chiara:2004/03/23(火) 09:33
アイ様
そうそう。聖人は特別ではなく、だれしも「聖人」であるんですよね。
他者の中に聖性をみることは、客観的に考えやすいということで、規範となる聖人が存在しますが、
彼等のエピソードを読むと血や肉の通った普通の人間が存在することを発見します。
人気の高い聖人、アシジのフランシスコは、わがままだし、変だし、頑固だし、
たぶん隣人としていたなら、うっとおしい人だったでしょうが、しかし彼の聖性は同時代人でも
認めていました。他者の生き様の中にもイエスの言葉が生きていること、聖霊が働いていること
それを知ることが「聖伝」なのですね。およそわがままでどうしようもない人を
聖人として受け止められるには、赦しの心が必要で、それがないとその人に働く聖霊は見えなくなります。
「聖伝」とは教会共同体に働く聖霊に着目し、それが伝えてきたことをさすわけです。
それは、現在でも進行形なのですね。

12アイ:2004/03/23(火) 09:35
「崇拝」とは神と私個人との関係から始まっており、
「崇敬」とは、共同体との関係から始まっている。
ということだと思います。
これがもし、共同体から始まる「崇拝」だとすると、それは「カルト」に繋がり、
私個人から始まる「崇敬」だとするなら、それはやはり「神格化」に繋がるのだろうと思います。

13アイ:2004/03/23(火) 09:52
あ、chiaraさま、レスありがとうございます。
本当に、聖書であろうが、聖伝であろうが、その内容そのものよりも、そのスピリッツというのでしょうか、そういうものを理解することが大事なのだなぁ、と思います。

人間は間違えやすいけど、だからといって、何もかもを取り上げるのはどうかと思うのですね。
私が洗礼を受けた時には「偶像崇拝をしない、また、偶像崇拝と紛らわしい行いをしない。」という宣誓がありました。
つまり、本人も思惑がどうであれ、人が見てあれは偶像を拝んでいるのだ、と誤解されるような行為はしてはいけないと。そういうわけで、墓前礼拝をしたときに、子供が「これって偶像崇拝じゃないの?」と親に聞き返していました。
しかし、そういう理解だと常に人の目を意識していなければならないし、また、他者の行為に対しても監視しているような信仰になってしまうわけです。
どのような行為であれ、どういう精神でそれを行っているかが大切だし、それはその場では神にしかわからない。
わかるのはその歴史の中で、その行為がどういう実を結んだか、ということです。

140990:2004/03/26(金) 22:45
 偶像礼拝は仏さんなどを拝むばかりとは限りません。つまり不適正な聖書の理解、私的解釈により神様の意思に反する神様礼拝です。だから聖書は偶像を作りこれを安置するものは・・・と警告する。

15chiara:2004/03/28(日) 21:17
アイ様、0990様、
イエス・キリストが伝えたかったことは、まさに新たな視点を我々にもたらせることだったと、
思うのですね。その「スピリット」とは畢竟、聖霊に他ならず、常に我々を取巻き働きかける
わけですが、価値をイエス・キリストの言葉に置いておけば、わたしたちは聖霊を見いだすことが
出来るのだと思います。その軸が「他者の視点」という他のものになってしまうと見失ってしまうのでしょう。
0990様>
0990さんは、教派スタンスが「聖書のみ」であるお立場なわけですが、不思議とわたくしの
教えられてきた聖伝をも含むスタンスのあり方と考え方が同じです。結局、これらを分けること
自体ナンセンスで、普遍の真理は同じであるからこそ、行き着く結果の回答が同じなのでしょう。
単に言葉の用い方が違うに過ぎないと、改めて感じ入ります。そもそも聖伝も聖書から発して
いるわけですから、見方を変えればやはり「聖書のみ」なんですよね。

16へっぽこピーメン:2004/05/03(月) 02:15
「聖書のみ」はそもそも「聖書に帰れ」ルター先生の主張ですよね。
0990さんの言葉は、文脈からはルターの考え方に近いと
わかるんだけど、ともすると「聖書書物崇拝主義」と混同される
恐れあり...
いちいち「聖書にはこう書いてある...」ばかり言ってる牧師さん
がいたから、「キリストの言葉は”ロゴス”神の言葉だけど、
聖書は所詮”紙の言葉”なんだよ!キリストを踏み外して読んではイケナイ!」
とエラソーに言っちゃいました...

17へっぽこピーメン:2004/05/04(火) 21:23
...ただ、「さばく」ような読み方から、
「救い」を読み取ろうとする読み方に変わって来ていた...

18へっぽこピーメン:2004/05/07(金) 22:33
そして「兄弟のために救いに、癒しになる個所がないだろうか...」
という気持ちで読んでくれていた。
へっぽこの方が、牧師さんを裁く目的で聖書を読んでしまっていた。
「貧しい者の救済をしない者は地獄に落ちる」と言うように...

へっぽこが責めていた牧師さんのほうが、ずっとキリストによって
聖書を読んでいた....

19名無しの神学さん:2005/01/01(土) 23:51
でも、その教会の体質が変わったわけではなく、
「攻める権利があるんですよー!」という教会に
いとも簡単に戻ってしまっていた。

「カルト」は一筋縄では行かない・・・

20名無しの神学さん:2005/01/05(水) 14:24
目からウロコの本がありますので紹介します。
意表をつく神ジエラードWヒューズ女子パウロ会です
カルトにとらわれ神の愛と赦しが見えないという方におすすめです

21名無しの神学さん:2018/02/24(土) 15:02:39
作詞:聖イエス会教祖様

時の流れははやく 終末は迫り
しののめが近いと みな告げしめす
神の期待に われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


十字架の旗のもと 決意も新たに
いのちにはいのちを 愛には愛を
心燃えたち われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


新しいエルサレム ゴールをめざして
ハシッドの召命 神化の道を
ただひとすじに われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


神のビジョンを見つめ 聖霊に燃えて
新しい歴史と 輝く未来
メシヤの世紀 われらは 開かん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


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