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敢えて問う「マリア崇敬」

96からし種:2004/03/13(土) 16:01
 あっという間にレスが増えていますね。(中には聞き慣れた言葉も…)
 自然な感情として、将軍・綱吉の生母、秀頼君の母・淀の方等に対しては
敬意が払われていたものだと思います。(例えが悪いですが、時代劇好きなもので )
とすれば、主イエスがこの地上に居られた時に生きていた人々が、その生母
であるマリアに特別な感情が持ったとしても不思議ではないし、特に悪徳が
入り込む余地は無いと思えます。
そして、生まれたばかりの教会においても、主の母上であるマリアが尊ばれたとして
も、これもまた健全なことだと思えます。
 旧約聖書にエリヤやエノク(でしたか?)も「死」を味わうことなく「(被)昇天」し
ています。ちなみに、エリヤが礼拝説教で語られた時はかなり英雄的な評価で「被」
昇天という要素は、極めて希薄でした(エリヤの功績への対価として死の経験が免ぜられた
といニュアンス)。しかし、特に批判等の反響は起こりませんでした。
 私が耳にした牧師の話では、聖母マリヤや御聖体というものが重んじられると、特に
初心者にとってキリストの十字架がぼやけてしまう危険があるから、こうした習慣は排除
するべきだということでした。
 しかし、私にはそれよりも、カルヴァン等の時代にあっては、組織的にローマカトリック
から分離するための手段、現代にあっては大小様々の教派、教団の経済的、組織的独立を維
持するための手段という要素が大きいと思えます。ヴィードロ細工でも、岩石でも、そこを
叩くと割れやすい、という箇所があるのと同じで。
 まあ、実際、自分が罪人だという自覚はあっても「ここからここまでは原罪だ」とまでは
自覚出来ないのが通常であり、「無原罪」か否か、というような事は認知可能の領域を越え
ているのではないか、と思えます。だから、私は「聖母マリヤは、神様の恵みによって、キ
リスト・イエスの母となるために選ばれて、原罪を免じて生まれました」と聞いても特に感情
的に違和感はありません。でも、矛盾するようですが「やっぱり、2割くらいの原罪はあり
ました」と訂正されても、ああそうですか、くらいで特に違和感も感じません。
(これは人によって様々だと思えます。)


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