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「三位一体」の本質

83chiara:2004/03/08(月) 14:30
名無しのひつじ様>
心が痛む光景は、互いのことを知らずして「相手がこうである」との決めつけ。つまり相手の
スタンス、もしくは歴史的経緯を無視した、無知から来る批判合戦のことです。
それはカト、正教、プロテスタント諸派それぞれに所属する人々の中に内在する光景で、
知に対する誠実さからもたらされる「批判」とは異なる態度のことです。
神学が確立されていく経緯における「知への誠実」は神という「超越する真理」への謙遜から
来る態度によって形成されていますから、そうした光景を指して心が痛むとは思いません。

批判は自分に対しまず向けるのが妥当であると思っています。
外部に向ける場合は、それが傲慢から来るものである場合が多いです。
ですが、自己が信じるものへの表明であるがゆえに行わねばならない場合もありますから
その、見極めは難しいでしょう。

まぁ、わたくしは中世の神学のあり方が好きなもんで、なんでもありな状況で組んず解れつやってた
のが一番面白いと思っていますね。近代のはどうもそれぞれが一本化しようとしていて無理を感じるです。
そのあたりをもう一度シフトし直すのがエキュメニズムの見える先でしょうね。
「教会」というカテゴリは特定教派に限定されるものではないですから。
「和」ではなく「個の尊重の認めあい」の中で、もういちど様々な個性が混在する「教会」の人々が
一致するということだとは思いますけれど。(アウグスチヌスが教会が分離するのが一番罪だと思って
たのはまさにいい得て妙)そういう場合、批判する相手もまた自分の兄弟だと自覚しながら行うわけで。
批判する以上、批判対象に責任を持つ態度が要求されるのですし。


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