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「三位一体」の本質
69
:
chiara
:2004/03/06(土) 22:26
少しダウンしていてご無沙汰してました。
フランシス様>
「神学も神を黙想する一つの手段である」とわたくしは考えます。
古代から中世にいたるまで、「神の前の謙遜」は自明の前提で、「神学」を行うというのは、
自己弁護ではなく、やはり真理への黙想の一つの手段として考えられていたと思うのですね。
「修道」という言葉が示すように、それは神への道行きの過程であり、神学はあくまで途上の
思考の結露だと思うのです。だからフランシスさんがおっしゃるあり方にまったく同意します。
パンプキン様>
>実際に信仰をなされ、神に祈られているわけですが、祈っている間の、
その、なんといいますか、神様のイメージというものは、どうなって
いるのでしょう?
そうですねぇ。私の神には抽象的な存在と具体的な存在とが混然としています。
映像化するのは難しいですが、「ただ在る」存在として、感じる時もあれば、人物の痕跡のような
そういう温度のある存在として「感じる」こともあります。だから「三位一体」を通じて無意識に
祈っているようです。それは父なる神としての超越する宇宙と、子なる神の温度ある人としてのみじかな
存在としての神という対話者とが同居してるんですね。神を感じるその「イメージ」はその時々で変化します。
・・・こんな感じでしょうか?
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