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「三位一体」の本質

1自称へっぽこハリスティアニン:2004/02/25(水) 00:19
「自称へっぽこクリスチャン」改め「自称へっぽこハリスティアニン」
です。(帰正式前だからまだ名乗るのは早いか?)
「へっぽこ」ゆえに、「三位一体」を含む
「ニケア・コンスタンチノポリス信経」の認識が甘く、醜態をば
さらしてしまいました。「異端」よりも「カルト」が問題が大きい。

しかし、「異端」...特に「三位一体」を否定する「異端」
「正統」「異端」というのも相対的なものであるという見方も
できますが、「ひつじ」の本文にもあるように、キリスト教
としての最低ドグマを押さえておきたいと思います。

というのは、正教会で神父さまに、腰を据えて習い始めたから
であります...

2へっぽこ@続きです:2004/02/25(水) 00:43
フランシス・ヒデさま直伝の、「論理・理性のロゴス」と「神秘のロゴス」
タチバナ師匠はノンクリにも係わらず、「三位一体が組みあがっていく過程が
美しい」と表現されました。

神学論争はディベートの如く、「論理力=Logic」がモノを言う部分も
あるでしょうが、最後は「神秘」。

M神父さまは、教条主義的でない解かりやすい教え方をして下さいます。
「真理」は必ずしも論理的なものでなく、弟子たちの神秘体験がもとに
なっているので、論争になると、ともするとより「論理的」な
アリウスや単性論に「負けそう」になる。最後は「神秘体験」を主張
するしかなくなってくる、というものです。「実際にキリストを”神”として、
かつ”人”として体験した弟子たちによる伝承・聖伝」が基本。

ですから、アタナシウスとアリウスの論争はディベートのようなものでは
なく、実体験した者としていない者の論争なので、「視座のずれた話し合い」
だったのでしょうか?

何に例えると判りやすい?
ウィスキーのアイレイモルトを実際に味わった人と、味わっていない人が、
「アイレイモルトと国産ウィスキーとどちらがウマいか?」を論争するような
ものでしょうか?知識として、「アイレイモルトがウマい」と認識することも
できますが、やはり味わってみなければ本当の飲み手とは言えない。

フランシスさま
稚拙な譬えで恐縮ですが、「神秘のロゴス」味わうに当たっての心構え?
(なんて言えばいいか)ご教示いただけますでしょうか?

3フランシス・ヒデ:2004/02/25(水) 01:06
「へっぽこ」さま、

いえ、別に「心構え」といったタイソーなものはないと思いますよ。そんな
オーそれたモンが必要なら、私など永遠に体験できますまい! (^O^)
我々がなにか条件を満たしているからロゴスを体験できるのでなく、ロゴス
自らが恩寵として我らの身体に息吹を与えてくださるのです。
それに、「へっぽこ」さまのように実直・真面目(過ぎる面もある)方の
場合、これ以上何を要求できましょう!??

4へっぽこ@ありがとうございます:2004/02/25(水) 01:38
神父さまの奥様には、「気楽に遊びに来なさい。」と言って頂いて
居ります。

5へっぽこ@ありがとうございます:2004/02/25(水) 01:39
「真理」は必ずしも論理的なものでなく、弟子たちの神秘体験がもとに
なっているので、論争になると、ともするとより「論理的」な
アリウスや単性論に「負けそう」になる。

6へっぽこ:2004/02/25(水) 01:44
↑神父さまのお話で、ここのところが面白いと思ったのですけれど...

小室直樹(宗教原論)で、「アリウス派の論拠もアタナシウス派に比べて
見劣りする者ではなかった。」つまり、「論理・理性」では遜色ないけれども
「神秘」が判っていないのが「異端」?

必ずしも「論理的」でない「神秘」「真理」を抱えている分だけ「正統」が
「論理」に徹しきれず、論争でマケソウになるとしたら....
やはり「異端憎し」になるのかな?と思いました。

7火の洗礼を祈る小羊:2004/02/25(水) 06:21
へっぽこさんに平和。こちらスレがスレ主なので、こちらにレスいたします。
正教の教会が10分の距離にあるとは、恵まれていらっしゃいますね。
私が、正教がいいな、と思ったのは、両形色での聖体機密を行うことやカトリックとは別の使徒伝承教会であること、などなどなんですが、
面白いのは、2ちゃんですね。カトスレはかなり荒れ、また、聖書ではない様々の公文書の解釈などなど、どうみても本筋ではないだろう、という分野に非常に詳しい方がいて、その知識の量を顕示するようなところがあります。正教の人のスレは下げ進行で、ゆったりと進みます。
私は、正教の礼拝は出たことがないので、はっきりとはその理由はわからないのですが、なにか気づかれましたらお教えください。また、正教については、一瞬ですが、マイナー?な東方教会(ネストリウス派東方典礼カトリック教会系とか)の司祭になっても面白いな、と考えたことがあります。

聖書のとおり聖体拝領したい→近所にない→自分でやるしかない ということで始まった自宅聖餐式がそれなりに、形になってきたので、次はやはり中身の問題、祈りなのかな、などと思っています。
特に、私が水の洗礼が受けられないなら、火の洗礼を、ということでつけたHNの意味、聖霊降臨とか、火の舌とか、本当に来るのか、とか疑っているような状況なので、まずはそのあたりからかな、と思っています。
そろそろ、朝の礼拝の時間です。それでは。

8パンプキン:2004/02/25(水) 07:21
三位一体については、子羊さまと私は異端的な考えなわけですが、本スレは
へっぽこさまが正統的な三位一体をきちんと理解しようということで立てら
れたスレと理解していますので、私も正統的な三位一体をきちんと理解すべ
く、耳を傾けたいと思います。

過去に「ワンネス」(サベリウス主義というのか)を密かに告白された正統派
牧師さんもいらっしゃいましたし、イエス・キリストにむかって祈ることを
禁じ、「イエス・キリストは神じゃない。人間だ!」とのたまった正統派
牧師さんもいらっしゃいました。根本教義とされているのに、正統派の中
でもきちんと理解がゆきとどいていないのはもしかして困ったことかもで
すよね。

ちなみに「三位一体」の教会では、本当にイエス・キリストに向って
祈ることは禁じられているのですか?「父なる神よ」と祈らなければ
間違いであるというのは、本当でしょうか。ご存知の方教えてください。

9タチバナ@灰羽連盟:2004/02/25(水) 10:10
私の感覚からすると「三位一体」の教義は非常に論理的です。で、論理的であるからといって神秘的でないことにはならない。「三位一体」とは、神秘的であるものを論理的に表現したものだと解釈してます。
アリウス論争などの初期教義史の歴史は決して「論理」対「神秘」の対決なのではなく、あくまで「論理」対「論理」の対決です。だから、双方信仰の核心においては間違いだとは思わなかった。
「三位一体」という言葉が指し示す神そのものと、「三位一体」という表現とはさしあたっては別のものであり、区別されるべきです。あたりまえと思えるこの区別を忘れると不毛な論争になるのです。
「三位一体」がイメージできない、だからそれは真理ではない、あるいは理解を超えており論理にはあてはまらない、という方がいます。しかし、たとえば数学などで多次元の図形などが出てきますが、それは人間にはイメージ不能ですが、厳密に論理的です。イメージできないから即「非論理的」ということにはなりません。

10chiara:2004/02/25(水) 13:35
タチバナ師匠に声かけられて、舞い戻って参りました。
「子羊さんが来てるからおいでよ〜」と報告を受けたので。久しぶりで嬉しいです。
お元気ですか?わたくしもここはしばらく来てなかったので、神学の部屋が出来ているとは
知りませんでした。皆さまいらしていて、懐かしいですね。
小羊様>
まぁ2chのカトスレに集っているのはかなり特殊な方が多いようで、カトリックでも
あんな人たちはあまり見ないです。あのイメージだけで印象もたれたらやだなぁ。
タチバナ様>
三位一体は美しいです。美は普遍であり神秘であるです。
あの議論の経緯を知れば知るほど、その構築された論理推移が神秘へと辿る道行きに
繋がると感じました。正直、難しいけどそれが故に神秘かもとも思うんですね。
判らないから認めないというのは、傲慢とも言える。という事象がこの世には存在すると
思いますね。

11heppoko:2004/02/25(水) 15:26
>>三位一体は美しいです。美は普遍であり神秘であるです。
>>あの議論の経緯を知れば知るほど、その構築された論理推移が神秘へと辿る道行きに
>>繋がると感じました。正直、難しいけどそれが故に神秘かもとも思うんですね。


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