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まことの礼拝とは

1シジミ蝶:2004/02/05(木) 17:02
ウイリアム・バークレーの著書から
「誤った礼拝は迷信的な礼拝である。そのような礼拝は、必要感から、
また真の欲求からなされるものではなくて、根本的には、それを、行わ
なければ危険だと感じることから行われる礼拝なのである。
多くの人の宗教は、もし神を考慮に入れないと、何かおこるかも
しれない、という一種の漠然としたおそれに基づいている。
しかし、真実な宗教はおそれにではなく、神のなされたことを
感謝することから生じる。神に対する愛と生命を見いだしたいという
神への願望に基づいている。気まぐれの神々の怒りをやわらげようとする、
一種の迷信的儀礼にすぎないような宗教が、あまりにも多く横行している。
 そこで、イエスは、まことの礼拝を示される。神は霊である、とイエスは
いわれた。人がそれを、理解するやいなや、新しい光が彼の上にさし込む。
もし、神が霊であるなら、神は事物に限定されない。それゆえ、偶像礼拝は
不適切であるばかりでなく、神の本性への侮辱である。もし、
神が霊であるなら神は場所に限定されない。それゆえ、神の礼拝を、
エルサレムやその他の場所に限定することは、本性上、あらゆる限界を
越えておられる方を限定することになる。
 もし、神が霊であるならば、神に対する人間の供え物は、霊の供え物
でなければならない。動物のいけにえや、人のつくった物は不十分である。
神の本性にかなう唯一の供え物は霊の供え物、愛、忠誠、服従、献身である。
人間の霊は人間の最も高貴な部分である。それは、人間の肉体的な部分が
消滅しても、存続する部分である。それは、人間の肉体的部分のゆえに
つまり人間の弱さや、不完全さのゆえに、決して実現されることのない
夢や幻を見る部分なのである。人間の最も高度な夢、思想、理想、願望の
根源と発端となるのは人間の霊である。まことの礼拝は、人が、自分の
霊を通して、神と和解し、親交をえるときに生じる。まことの礼拝は
特定の場所に行くことではない。それは、一定の、儀式や、祈祷をとり行う
ことでもない。それは、供え物を、持参することですらない。
まことの礼拝は、霊、すなわち、人間の不死で、不可視的な部分が、
不死で、不可視的な神に語り、神と出会うときに行われる。」


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