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なぜ、カインの捧げものを認められなかったのか?

35パンプキン:2004/02/15(日) 17:31
>タチバナさま

そうですねえ、反論には確かになってませんが(^^;;;

素人が想像するに、古代史の研究というのは、遺跡などから証拠を見つけて、それを
積み上げてコツコツ推論、実証、という形になっていくんだと思うのですが、
例えばですよ。こんなことを想像してしまうのです。今ある教会が、聖書などの
文献なしに、そのまま後世に残ったとします。それをもはや現代の教会の状況など
知りえない遠い未来の人々が発掘したとしたら、彼らは教会など信仰の場である
建物のいたるところに十字が刻まれているのを見て、なんて思うのかしらって。
「当時は十字架信仰が行われていた」とか。あるいは南十字星の見える場所であれ
ば、南十字星信仰と思われるとか。
(ま、イエスさまがついている像もありますけど(^^;;)

あるいは現代でさえ、プロテスタントの牧師がある日カトリックの礼拝堂を訪れ、
そこにマリア像や聖人像を見つけ、「カトリックの人たちはマリア崇拝、聖人崇拝を
している」と思ったりすることもあるわけですよね。しかし実際それらはあくまで
表象、マリアさまや聖人たちであれば、彼らの「従順、純潔、慎み」などの人格、
徳を表現し、信者さんたちがそれを目指す目標としての対象だったりするわけです。

同様に、古代の人々の神殿に太陽が描かれていたから「太陽崇拝」だとか、月が
描かれていたから「月信仰」だとかいうことは、一概には言えないと思うのです。
これも、もしかしたら目に見えない唯一神を信じていた人々の、唯一神の
表象としての太陽であり月であったかもしれません。

何が言いたいかといいますと、信仰という事柄について、後世の人々が遺跡など
から証拠を見つけ、その現物から当時の信仰について推測をめぐらすということ
は、とても難しいものなのではないかということですね。目に見える事柄からし
か、推測ができないからです。太陽崇拝を支持する証拠は、太陽の絵やそれに
むかって人々が拝んでいる絵が次々に発見されさえすればいいことです。でも
「太陽は単に表象でしかなかった」という説は、はなから実証できる性質の事柄
ではないわけです。

で、古代に太陽崇拝や月信仰などが見られた(と考えた)考古学者さんたちは、なぜ
太陽や月が崇拝の対象として選ばれたのかということに思いをはせ、それはやっぱり
一番光輝いており、一番目立ったからではないか、というような発想になってい
るのではないかと、そういう先入観にこの批判している人もとらわれているのでは
ないかと、上記部分の「批判」の話の流れから、感じたわけです。


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