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なぜ、カインの捧げものを認められなかったのか?

26パンプキン:2004/02/10(火) 08:04
ちょっと脱線するのですが、旧約聖書といって思い出すのは、一昔前流行り、
私も夢中になってしまった(^_^;グラハム・ハンコック『神々の指紋』という本
です。まあこの本がトンデモ本かどうかということは別として、私がとても
面白いなと思ったのは、古代の人々は、天体などの法則をはじめ、ある概念を
次の世代に残し伝えるときに「神話」という形をとったということですね。
そのまま天体法則などを伝えればすぐに忘れられてしまうけれど、神話という
形ならもとの形に近いままで後世まで口述されて残されるわけです。ある意味、
「情報のコード化」というようなものが行われていたのではないかという考え
が主張されていました。

古代の人々の神話を私たちは「非科学的だ」といって時に馬鹿にしたりもする
わけですが、実は古代の人々の科学は私たちが思うよりもっと発達しており、
ただ同時に「神話化」「表象化」という技術も持っていたがゆえに、私たち
にはコード化された情報のみが残された。ところが、表象化の技術をもたない
私たちは、コード化された情報をもとに戻すことができない。そこでコード、
つまり「神話」だけを見て「非科学的だ」と判断しているということも考え
られるわけです。

旧約聖書をこれにあてはめると、旧約聖書の言葉もまた、古代の人々が、
(霊感によってであれ、そうでないのであれ)ある事柄を伝えるために
「神話」という媒体を使った、という考え方も成り立つわけですね。
私たちに残されているのは、いわばコード化された、概念を運ぶために
用いられた乗り物としての言葉であると。そう考えると、その「物語」
ひとつひとつの文字通りの字義的な意味よりもむしろ、そこに乗せて
伝えられた概念に注目する必要があるのかな、と思ったことでした。
これもひとつの聖書の読み方になるのではと思います。


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