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なぜ、カインの捧げものを認められなかったのか?

24続き:2004/02/05(木) 20:42
>>「愛・正義・公平・真理」の源泉は「神の意思(神の恣意)」であると言
>>うことになってしまうが,これはまた,気持ちの悪い結論だ。
>どうして気持ち悪いんでしょう?(真面目な質問)

 気持ちの悪さを説明するのは,結構骨が折れます。どうしても「自然法論」と「法実証主義」の話になってしまうので,その辺は,ご容赦ください。
 「理性」「良心」「公平原理」「物事の道理」等々といったものは,「人の心(霊)」の中に深く深く刻み込まれています。それは,「自明」ですよね。そして,そのような「理性」「良心」「公平原理」「物事の道理」は,クリスチャン以外でも持っていることはもちろんです(それは,「神−ヤハウェ−を淵源とする一般啓示だ」,という考えもありますが,寄り道になるので,この辺は別に書く)。
 「法実証主義」というのは,「理性」「良心」「公平原理」「物事の道理」等々といった,「人の心(霊)」の中に深く深く刻み込まれているものをワザと「法的思考原理」の外に置くのです。ガビー氏お得意の「現象学」流に言えば「括弧に入れる」ということになりましょうか?
 このような「法実証主義」は,ある意味単純明快で,(論理は飛躍しますが)「聖書字義信奉者」と思考形態が似ています。「法トハ主権者ノ意思デアル−オースティン?」「『主権者ノ意志ニ従ウベシ』と言う根本規範を措定すればそれで良いのだ。ケルゼン」。
 「聖書ニ書イテアルカラ,ソレハ,神ノ言葉ダカラソレデイ良イノダ」と言うのは,良く似た思考形態でしょう。

 このような考え方(法実証主義・聖書字義信奉主義)は,単純明快であると同時に,どーーーしても「人工的・技巧的思考」となってしまいます。だって,「理性」「良心」「公平原理」「物事の道理」等々といった,「人の心(霊)」の中に深く深く刻み込まれているものは「自明」でしょう? 
 これで,「実証主義者」・「聖書主義者(と敢えて自己にレッテルを貼っておく)」の私ことオッカムが心の中に抱く「気持ちの悪さ」は分かっていいただけるのではないでしょうか?


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