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なぜ、カインの捧げものを認められなかったのか?

20続き:2004/02/05(木) 16:52
 人間が神とは無関係に善悪を決定していくという考えは、今日世界に満ちています。中絶賛成、死刑制度反対、自由恋愛・・・。こういった無秩序は、人間が宇宙に統一的な法を認めないことから起こっています。聖書的キリスト教を土台として作り上げられた西洋キリスト教文明はこのような多神教的無律法主義によって破滅の危機に瀕しているのです。
 では、どこからこのような問題が発生したのか。その発端は、キリスト教が、理性を堕落の影響の埒外において、神の法によらずとも、人間理性のみによって認識し、統治できる領域を許容したところにあります。このようなギリシャ無神論に起源を持つ自然法思想の混入を許したところにキリスト教の堕落が始まったと見ることができるのです。宗教改革はある程度この問題を解決しました。「聖書のみ。信仰のみ」の原則は、自然法へのある程度の制限を設けました。しかし、それが徹底したものでないところに、十分な改革が行われず、今日のような世俗化を許した元凶があると見ることができます。カルヴァンは、申命記の説教の中ではっきりと聖書律法による世界統治の原則を打ち出しています(ゲイリー・ノース著「カルヴァンはセオノミストだったのか」福音総合研究所(武蔵野市中町)刊、参照)。しかし、残念なことに「キリスト教綱要」の中では自然法を認めるかのような発言をしているのです。
 「しかしながら、私は、ことのついでに、国家が神の御前で敬虔に用いなければならない法律はどの様なものでなければならないのか、そして、国家の正しい統治の仕方はどの様なものなのかということについて少しく述べてみたい。もしこの問題で多くの人々が危険な間違いに陥っているという事実がなければ、私は、このような問題に関わる気はない。というのは、ある人々は、モーセの政体(polity)を無視する国家も正しく統治されており、諸国民の普通法(common law)にしたがってうまく治められているのだということを否定しているからである。この意見の危険性と煽動的性格の証明は他の人に任せることにして、私はその誤謬性と馬鹿馬鹿しさを明らかにしたいと思う。」(「キリスト教綱要」第4巻20章14節)
 しかし、彼において明確にされた「全的堕落」の教理により、理性も堕落の影響を免れていないこと、したがって、正しい世界認識は、啓示と聖霊によらなければならないという原則が確立されていたことは、カルヴァン主義におけるその後の有神論的世界観の発展を可能にしました(渡部公平著「カルヴァンとカルビニストたち」小峯書店)。人間理性の自律を絶対に許さず、万物を聖書律法によって統治しなければならないことが、今日人間に与えられた唯一の解決策であると考える次第です。


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