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まことの礼拝とは
1
:
シジミ蝶
:2004/02/05(木) 13:19
ウイリアム・バークレーの著書から
「誤った礼拝は迷信的な礼拝である。そのような礼拝は、必要感から、
また真の欲求からなされるものではなくて、根本的には、それを、行わ
なければ危険だと感じることから行われる礼拝なのである。
多くの人の宗教は、もし神を考慮に入れないと、何かおこるかも
しれない、という一種の漠然としたおそれに基づいている。
しかし、真実な宗教はおそれにではなく、神のなされたことを
感謝することから生じる。神に対する愛と生命を見いだしたいという
神への願望に基づいている。気まぐれの神々の怒りをやわらげようとする、
一種の迷信的儀礼にすぎないような宗教が、あまりにも多く横行している。
そこで、イエスは、まことの礼拝を示される。神は霊である、とイエスは
いわれた。人がそれを、理解するやいなや、新しい光が彼の上にさし込む。
もし、神が霊であるなら、神は事物に限定されない。それゆえ、偶像礼拝は
不適切であるばかりでなく、神の本性への侮辱である。もし、
神が霊であるなら神は場所に限定されない。それゆえ、神の礼拝を、
エルサレムやその他の場所に限定することは、本性上、あらゆる限界を
越えておられる方を限定することになる。
もし、神が霊であるならば、神に対する人間の供え物は、霊の供え物
でなければならない。動物のいけにえや、人のつくった物は不十分である。
神の本性にかなう唯一の供え物は霊の供え物、愛、忠誠、服従、献身である。
人間の霊は人間の最も高貴な部分である。それは、人間の肉体的な部分が
消滅しても、存続する部分である。それは、人間の肉体的部分のゆえに
つまり人間の弱さや、不完全さのゆえに、決して実現されることのない
夢や幻を見る部分なのである。人間の最も高度な夢、思想、理想、願望の
根源と発端となるのは人間の霊である。まことの礼拝は、人が、自分の
霊を通して、神と和解し、親交をえるときに生じる。まことの礼拝は
特定の場所に行くことではない。それは、一定の、儀式や、祈祷をとり行う
ことでもない。それは、供え物を、持参することですらない。
まことの礼拝は、霊、すなわち、人間の不死で、不可視的な部分が、
不死で、不可視的な神に語り、神と出会うときに行われる。」
2
:
ダイボン
:2004/02/05(木) 15:50
フランシス様
いつもご返答ありがとうございます。
やはり、キリスト教はユダヤ教の聖典を勝手に失敬してしまったのですか?
私の今までの理解では、イエスはユダヤ教徒で、
旧約聖書に書かれているメシアであると思っていました。
だから、旧約聖書は新約聖書と共に神の霊感によって書かれたと思っていました。
フランシスさんの解釈によると、聖書は神の霊感で書かれていないということですか?
私の通っている教会は、そのように教えられています。
私自信も、いろいろキリスト教を勉強していき、
クリスチャン、牧師でさえも、非常に無知であることが多いことに、
危惧を覚えることがあります。
これから、聖書を読むときは、どうしたらよいかちょっと分からなくなりました。
3
:
へっぽこ@よろしく
:2004/02/05(木) 15:51
>>クリスチャン、牧師でさえも、非常に無知であることが多いことに、
>>危惧を覚えることがあります。
ダイボンさま
ご挨拶が遅れました。へっぽこです。よろしく。
↑同感ですね。もうあまり悪口は言いたくありませんが、聖書やキリスト教の
歴史など基本的なことを押さえていない牧師や信徒はなにか悲しくなります。
主イエス=受肉したロゴス。フランシスさまから教わった言葉です。
ロゴスには、「理性・知性のロゴス」と「神秘のロゴス」の両側面がある
ことも学びました。つまり、勉強することも大切であるが、”信じる”ことは
もはや理屈ではなく、体験すること、と受け取っています。
ともに学んでいきたいと思います。これからもよろしく!
4
:
フランチェスカ・ヒデ
:2004/02/05(木) 15:52
ダイボンさま、
「聖書の霊感」については、実は非常に分かりにくい問題でして、一見同じよ
うに「66巻の霊感」を説く諸教派のあいだでも、
○ まったくinerrantで、あらゆる事項の正解が66巻に秘められている
という極端な主張もあれば、
● あくまで聖書は古生物学や政治学などの本ではなく、我々の救いに関する
啓示だ
と見なす立場もあります。
つまり、アメリカで言うfundamentalistsとneo-evangelicalsの違いなどに
示されるような多様な立場が現実にあるのですね。
で、私自身はウェストミンスター信仰告白のような「聖書(という書物)に
啓示が完結している」という立場を採用せず(この立場を採用すると、自動的に
ペンテコステやカリスマ派を排除することになります!)、どちらかというと
ルターに近い立場ですね。つまり、聖書はあくまで人間の言葉による書物でも
あることは否定できない("神の言葉”なんて、そのまま我々人間が読み解ける
はずがない!)以上、考古学や歴史研究、パピルス学、文献諸学などを反映した
高等批評もフルに活用すべきだが、聖霊が働くとき、そこにキリストを見出す
ことができる。とでも要約すればよいのか。。つまり、聖書の高等批評と
キリストへの信仰とが、必ずしも矛盾・対立しないわけですね。
また、地上での「人としての」ナザレのイエスがユダヤ教徒であった点は
間違いないのですが、初期キリスト教徒のヘブライ正典の扱い方は、本来の
テキストの意味というよりも、むしろフィロなどに近いアレゴリー解釈を
多用していますよね。そうしないと、ヘブライ正典と”新約”正典とは
結びつけるのが難しい面があるのですね。やはり、この両者のあいだには
400年の隔たりがあることを考えねばならないでしょう。ですから、「ユダヤ
教」とはいっても、主イエスが地上におられた頃の「ユダヤ教」を理解するには
ヘブライ正典も必要ですが、死海文書やアポクリファ、プセウドエピグラファ、
フィロの著作などいろいろ必要になるわけですね。こうしたものすべてを総合
的に考慮していって、主イエスの言動記録を読んでいこうとするのが、私の立場
です。当然、”66巻”であろうと、批判すべきは批判します。
なお、ダイボン様がご自分でどのような「聖書観」に立脚するかを、ご自分で
考えてお決めになればよいかと存じます。たとえば↑の2種類の「霊感説」で
あっても、○のほうは現実には「聖書以外、何も読む必要はない」といった
反知性主義を少なからず招いておりますが、●のほうは実際に穏健で健全な
福音主義諸派を生み出しております。後者の穏健な諸派の聖書学者が集まって
作成したWORDという聖書注解シリーズなどは、私も愛用しており非常に
優れた注解書です。この霊感説なら、反知性主義などに必ずしも陥らないと
いう実証ですね。
一般に、自分がタマタマ行っている/行った教派・教会の霊感説や教理などを
鵜呑みにする必要はどこにもありません。個々人の性格や環境という要素も
ありますので、最初は鵜呑みにしかけても仕方がないかもしれませんが、いずれ
ご自分で納得できる霊感説や教理などを考えていかれることも重要ですよ。
5
:
管理人@東大阪
:2004/02/05(木) 15:54
まっ、まちがえたぁあああああああああ!!!!!!!。
わけ、わかんなくなってきました。
と、とりあえず、一服。
6
:
管理人@東大阪
:2004/02/05(木) 15:56
こっ、これは、どれと、どれか、なにがなにかさっぱりわからん。
7
:
管理人@東大阪
:2004/02/05(木) 15:56
こっ、これは、どれと、どれか、なにがなにかさっぱりわからん。
8
:
タチバナ
:2004/02/05(木) 16:37
シジミ蝶さんがスレを立ち上げたので顔見せに参りましたが、とっちらかってますね。
別の話題はなるべく別スレを立てた方がよいと思います。スレ主に対しても礼を失することになるし。
ただの技術的ミスみたいですが・・
9
:
管理人@東大阪
:2004/02/05(木) 17:03
師匠!!。
お騒がせいたしました。
いちおう、新スレを立てましたのでそちらへ、よろしくお願いいたします。
10
:
名無しの神学さん
:2017/05/14(日) 17:04:47
性なるかな 性なるかな 性なるかな アホ卜し
昔、8○3今、卜し
永遠に騙す主を騙り
■■■■■
■ ■ヽ、ヽ
|ii \,, ,,/ ii ♪ コソコソ 一人で 掲示板覗いてぇー
| _\ ./_ | 〜♪怒りを 募らせるぅー♪そして〜 (オモテでは)おぉーっ、感謝しまーす あ〜晴れるやー
___ || ___〉 ___〉
| | ● ● | 〜♪ そんな 卜しにぃー
\ Д. / | ♪ そんな 卜しにぃー なってしまいました〜
_/ \ ♪(でも内心は)おぉーっ、悔しいー、あ〜、悔しいー、今に見ていろ〜糞どもが〜
/ ̄ (:::::)  ̄\
/ ■炭,-| |、.■炭 ヽ ♪サタンが従順なオレさま卜しを攻撃してるだけさー
| ィ ■ / ,ミ).■゜ r |
| \/ / ´´| | ♪♪瓜学歴を賛美せよ 逆らう者は8○3を使って口封じ〜
\ _/ .| | ♪♪(リピート)
| ̄ ̄ ノ |
/\_____/|v、、)
|. ■■ | ' ̄
| ヽミ■■ミノ | ←生霊の盾(○ール入り)?? ? ? ? ? ? 禁ちゃん
ト,. ■■■■■ |
| ノ .i
11
:
名無しの神学さん
:2018/02/24(土) 15:52:49
作詞:聖イエス会教祖様
1
時の流れははやく 終末は迫り
しののめが近いと みな告げしめす
神の期待に われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。
2
十字架の旗のもと 決意も新たに
いのちにはいのちを 愛には愛を
心燃えたち われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。
3
新しいエルサレム ゴールをめざして
ハシッドの召命 神化の道を
ただひとすじに われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。
4
神のビジョンを見つめ 聖霊に燃えて
新しい歴史と 輝く未来
メシヤの世紀 われらは 開かん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。
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