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まことの礼拝とは
4
:
フランチェスカ・ヒデ
:2004/02/05(木) 15:52
ダイボンさま、
「聖書の霊感」については、実は非常に分かりにくい問題でして、一見同じよ
うに「66巻の霊感」を説く諸教派のあいだでも、
○ まったくinerrantで、あらゆる事項の正解が66巻に秘められている
という極端な主張もあれば、
● あくまで聖書は古生物学や政治学などの本ではなく、我々の救いに関する
啓示だ
と見なす立場もあります。
つまり、アメリカで言うfundamentalistsとneo-evangelicalsの違いなどに
示されるような多様な立場が現実にあるのですね。
で、私自身はウェストミンスター信仰告白のような「聖書(という書物)に
啓示が完結している」という立場を採用せず(この立場を採用すると、自動的に
ペンテコステやカリスマ派を排除することになります!)、どちらかというと
ルターに近い立場ですね。つまり、聖書はあくまで人間の言葉による書物でも
あることは否定できない("神の言葉”なんて、そのまま我々人間が読み解ける
はずがない!)以上、考古学や歴史研究、パピルス学、文献諸学などを反映した
高等批評もフルに活用すべきだが、聖霊が働くとき、そこにキリストを見出す
ことができる。とでも要約すればよいのか。。つまり、聖書の高等批評と
キリストへの信仰とが、必ずしも矛盾・対立しないわけですね。
また、地上での「人としての」ナザレのイエスがユダヤ教徒であった点は
間違いないのですが、初期キリスト教徒のヘブライ正典の扱い方は、本来の
テキストの意味というよりも、むしろフィロなどに近いアレゴリー解釈を
多用していますよね。そうしないと、ヘブライ正典と”新約”正典とは
結びつけるのが難しい面があるのですね。やはり、この両者のあいだには
400年の隔たりがあることを考えねばならないでしょう。ですから、「ユダヤ
教」とはいっても、主イエスが地上におられた頃の「ユダヤ教」を理解するには
ヘブライ正典も必要ですが、死海文書やアポクリファ、プセウドエピグラファ、
フィロの著作などいろいろ必要になるわけですね。こうしたものすべてを総合
的に考慮していって、主イエスの言動記録を読んでいこうとするのが、私の立場
です。当然、”66巻”であろうと、批判すべきは批判します。
なお、ダイボン様がご自分でどのような「聖書観」に立脚するかを、ご自分で
考えてお決めになればよいかと存じます。たとえば↑の2種類の「霊感説」で
あっても、○のほうは現実には「聖書以外、何も読む必要はない」といった
反知性主義を少なからず招いておりますが、●のほうは実際に穏健で健全な
福音主義諸派を生み出しております。後者の穏健な諸派の聖書学者が集まって
作成したWORDという聖書注解シリーズなどは、私も愛用しており非常に
優れた注解書です。この霊感説なら、反知性主義などに必ずしも陥らないと
いう実証ですね。
一般に、自分がタマタマ行っている/行った教派・教会の霊感説や教理などを
鵜呑みにする必要はどこにもありません。個々人の性格や環境という要素も
ありますので、最初は鵜呑みにしかけても仕方がないかもしれませんが、いずれ
ご自分で納得できる霊感説や教理などを考えていかれることも重要ですよ。
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