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453
:
BIRD@へんなはなし。
:2005/05/07(土) 20:42:46
もうすぐ父親よりも父親だった伯父の一周忌なのだけど(まあ、義経の平泉みたいなもん←便利だ♪)
彼の場合も、本当に突然だったな
老齢のガンだから「どんなに短くてもあと3年は保障しますよ!」と医師のお墨付きをもらっていたのに、急変。
救急車で運ばれて「もしかしたらもう数ヶ月しかもたないかもしれない」と宣告されたその2日後に亡くなった。
伯父はきっとかなり往生際の悪い死に方をした人の部類に入るのかもしれない。
”死”と向き合うことも、”死”を見つけることも、”死”を受け止めることも、なにもできなかったと思う。
金銭的にも精神的にも多くの人を支えてきたかなり太い”一家の大黒柱”だった伯父はただただやりかけた仕事や、残された人たちのことが心残りのようだった。
死に際も死に顔もとても静かなものだったけれど(解説:病院に泊まってずっとついていた>BIRD)
その数日前には、とても悔しそうに泣いてた(これ、前に書いたけど)
とても静かな涙だけど、ぬぐってもぬぐってもあふれてて
「○○にはもっとあれをしてあげたかった、XXはこれからもっとこうしてあげたかったのに・・・・・」
たぶん伯父にとっては途中だった人生、やりかけだったたくさんのことを遂げることのできない、悔し涙。
自分の死なんて考える暇もないくらいに「自分がいなくなったとき誰それはどうしたらいいか?あれはこうしておくべきだ」と考えていて。
もしかしたら、自分が死ぬことを認めたくなんてなかったのかもしれない。
そういうたぶん他人から見ればあまりかっこう良くない死に方だった伯父の死が、その日から自分の身体を造っている細胞の一部として組み込まれているような感じ(笑)
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