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池田先生の詩について

10しん:2004/11/16(火) 23:11
 アロエさんへ、皆さまへ
こんばんはです。
 アロエさんの話は、その執筆スタッフの名前でも聞かない限り、ちょっと信用する訳にはいかないですね。
そもそも法華経の智慧は対談形式だし、対談をまとめるのはスタッフでしょうけども。
 全部他の人が書いたとして、じゃあトインビー博士との対話はどーするんでしょうか。
僕は仏法対話をしますが、いくらネタが揃っているとは言え、あのような人達とよう対話しません(笑)
 それともう一つ。先生の詩がああいう形に完成した理由をここに発言したあとに思い浮かびました。
学会の人達は人間革命した多くの素晴らしい方々がいる反面、かなり厳しい人生環境を背負った方達が沢山います。
 現状を変えようと勉強しようとしても漢字が読めない、資格を取ろうとしてもそれこそ分数の計算すら出来ない人が
います。パソコンを使いこなし、頭も良く、なんでも自由に読み、理解できる人達とはそもそも出発点が違います。
 そういう人でも題目をあげ、必死で自分を励まし、現実を生き抜こうと頑張っています。
先生はそう言う人達の理解力のなさ、語彙の乏しさに嫌と言うほど直面して来たと思うのです。
 どんなに素晴らしい詩でも、理解されなければなんの意味もない。いわんや暗喩など...。
そういう人達でも理解できる詩としてあのような文体が完成されたのではと思いました。
 そういう学会のメンバーの環境を少しでも上に引き上げようと思い悩んだとき、信心してから一番多くのことを学べたと思っています。
だからそこの一点を忘れて、上記のような疑問をこういう場所で発言してしまったことに大変後悔しました。
 メンバーのなかでも特に力がなく、社会的に苦しい思いをしている幾人を思い浮かべるとき、もし学会がなくなったら誰が彼らを励ましていくのだろう、
関わっていくのだろう、育んでいくのだろう。それを考えたときに多少の問題があるとはいえ、学会を守らないわけにはいかないです。
 これを読まれた内のみなさん、すいませんでしたm(__)m


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