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自由の声

51so-A:2004/08/21(土) 01:14
少し話題が跳びますが、

映画『エクソシスト』で、悪魔祓いを行う前にメリン神父が悩める若きカラス神父に強く警告するシーンがあります。以下引用します。

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『絶対に悪霊と会話をしてはならぬ。関連事項の質問を越えた会話は危険だ。悪魔はウソつきだ。我々を混乱させその「ウソに真実を混ぜ」て我々を攻めるのだ。デミアン、それは心理的で非常に強力だ。だから聞くな、耳を傾けてはならぬ。』
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しかし、カラス神父(精神医学者でもある)はメリン神父が亡くなったことから憤怒という大罪を犯し、リーガンに対して激しい暴力を振るいます。悪魔に乗り移られてしまった描写が象徴的だったと思います。

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原罪意識がなく、大罪を犯し続ければサタンに魅入られ取り付かれ、やがて現実に罪を犯すことになるということを示唆しているのだと思います。別の映画作品で7つの大罪を扱った『セブン』では、憤怒した若き刑事が嫉妬した犯人を撃ち殺すシーンが衝撃的でした。『エクソシスト』と同じく、人間の原罪と罪源の認識がなければ理解不能で、ただ悲惨なだけに映るでしょうね。私も理解できはじめたのはごく最近です。私にはメリン神父とサマセット刑事、ミルズ刑事とカラス神父が重なってみえます。

怠惰と嫉妬心と憤怒に憑かれた人のいうことは聞いてはならないということなのでしょうね。しかしその邪な心をサタンはたくみに覆い隠して接してくる。その象徴がキリスト教では「サタン」「悪魔」「試みるもの」「告発者」「邪悪なる者」。創価学会では「魔」というのでしょうか。

裏を返せば高慢は人の嫉妬心を誘発するものなのでありましょう。高慢がなければ嫉妬もないと。そういう意味で高慢は確かに大きな罪です。能力の高い人ほど高慢に陥らないようにしなければならない戒めとして心に焼き付けておかなければならないことだと思います。これがいわゆる、ノーブレス・オブリージュ(高貴な者(有能な者または恵まれたもの)が持たなければならない自覚と責任)なのでしょうか。

しかし、はっきり自分の意見をいうことそのものが高慢であるとは思えないのです。もし自分が、自分の意見に耳を貸さず、その通りにしないからと腹を立てたりするのであればそれは自分が高慢になっている証しだと思います。その怒りの感情が自分の(利己心=エゴ)から発した言葉であったことの証しになるわけですから。しかしいくら内省してみてもその自覚がもてません。

「正論」などでなく、あくまでも「提案」なのです。一言も「私のいうことは正しいから信じなさい」などとは言っていない。それをどう受け取り、捉え行動するかは「提案」を受ける側の自由であり、「提案」する側が強要するようなことがあってはならないのは民主主義下に生きるものの常識です。強要すればそれは「命令」となる。契約関係がない以上は。究極的には人に「命令」できるのは神だけでしょう。またそれも神との契約をしたものだけに通用する観念なのでしょうが。創価学会員さんはそれがご本尊なのでしょうね、多分。

[つづきます]


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