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雑談コ−ナ−

28salam </b><font color=#FF0000>(18/mYapQ)</font><b>:2004/05/01(土) 15:10
先日の朝日新聞に憲法改正について話が載っており、
自民党の憲法調査会のある委員は
「西洋的な基本的人権から主張される個人至上主義ではなく、日本的な和を
大切にした国家観による憲法を作りたい」云々と語っているとか。
(細かい部分は、新聞捨ててしまったので覚えてません(汗))
先日、院の憲法の授業で「和をもって尊しとなす、と言ったのは聖徳太子が定めた
17条憲法の第1条ですが、これは本当に憲法だったのでしょうか?」と質問され、
思いっきり答えにつまりましたw
その教授いわく「これは憲法ではありません。その時導入した、統治制度(衣冠束帯とか
あれです)に伴い、国家官僚の規定を定めた官僚規則なんです。ですから、2条以下には
『朝早くおきて夜遅くまで働け』とか、『天皇を中心とした命令系統には従え』とか(略)
・・・が定めてあるんです。」と述べておりました。
話がそれましたが、「日本的な和」とはなんぞや?
先に述べたように、17条憲法が官僚規則だとすると、組織を効率よく運営する為の手段で
あって、だとすると、そもそも近代立憲主義の言う「国民の権利保障=憲法」の概念とは
全く違うものだと思えます。
「国」という組織を効率よく廻す為に、国民はそこに属する官僚たれ、というのであれば
まあ、「日本らしい憲法」と言えなくもないのでしょうが・・・国連憲章に思いっきり
そぐわない国家観となり、批准した条約違反ともなりますかね。。。
俺の考えですが、「和」と「付和雷同」は峻別しなければならないものだと思ってます。
「和」とは、それぞれ対等である個人が、それぞれ思い描くものを表現しあった結果、
選択され納得の上で実現されるものであって、納得いかない少数を異分子扱いするものでは
ない、と思いますが、「付和雷同」は個人がなく、誰か(又は、集団)がリーダーシップ
(色々な意味で・・・)を発揮し、そのリーダーのいう意見の実現の為、その他の者が追随
するもので、そこには納得が行く行かないはなく、追従者と非追従者の関係しか見えてこない、
というもとだと思います。まあ、それが楽だ、という人もいるのでしょうが、それは精神発達論的に
言えば、「自我拡散(喪失)」という状態とも言えるでしょう・・・。
組織の運営というのは、迅速さを持たなければなりませんから、往々にして「付和雷同」を
強いる部分というのはでてきます。しかし、「おかしい」と感じている人の意見を吸い上げて
議論の場に揚げ、論理的に反論して納得させる、あるいは相手の主張が正しければそちらを採用
する、というプロセスが欠けていては、「和」とは程遠いものにしかなりません。
今回のイラク人質事件で、柏村自民党議員が
「人質の中には自衛隊のイラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。そんな反政府、
反日的分子のために血税を用いることは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」
と言ってました。この理念こそが、彼らの求める「和」なんでしょうかね。。。
憲法改正の試案の中には、憲法改正の手続きから国民投票を外し、改正を簡単にしよう、という
ものも上がっているとか。。。一方では「和」を建前に、国民の「義務を増やす」と言い、内実は
組織運営(永田町を中心とするものですね)をやりやすくし、その一方で「和」をもって意見を
反映させる国民投票を廃止する。。。
その心は・・・個人的には「今」の憲法が「国の権力を規制し、国民の人権を保障する」という、
国の頭を押さえつけるものであるのが、我慢ならない、あるいは彼らの「守るべきもの」の
為には都合が悪いのでしょうな、と思ってます。

さて、国もですが、ご自分が属する、あるいは運営する組織、一度点検して考えてみては
いかがでしょうか。憲法に匹敵するのは、会社などであれば「定款」、その他法人であれば
それぞれ法律の規定に従った「規定」です。どんな風に書いていあり、どんな風に実現されて
ますかね。。。


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