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仏法あれこれ。。。お勉強スレッド
1
:
遥 </b><font color=#FF0000>(CuAGZ/CY)</font><b>
:2004/01/14(水) 08:02
sonomitohaさんの『自己紹介』レスをこちらに移動させていただきました
すべてとは諸法即実相を言っております
そこには煩悩即菩提や衆生所遊楽も含んでおるのです
もちろん既存の教典の解釈ではありません、内なる対話です
自我を認めるとはありのままの自分を認めること
それはどういうことかと言いますと
執着や所有は手放すこと知識や教養は手放すことから始まるのです
66
:
非活動1年生
:2004/02/28(土) 17:37
考えてみれば私もみれいさんも学会員だったのですよね。
その二人がこんな会話を交換し合うのは本当に面白い話です。
(現役学会員が見れば、お互いとんでも無い我見の持ち主として
罵られるのでしょうね、ウフフ)
こうしてネットでお知り合いになれたのも仏教的に言えば「縁」でしょうね。
宮本 輝氏(彼は学会員ですね)の本に
「外的偶然を内的必然と見るのは宗教的である」という小林秀雄の言葉が載って
いました。私もみれいさんもやはり「宗教的」人間かも知れません。
だからこそ学会にはいられなかった、というとバリさんに叱られそうですが、、、
67
:
みれい
:2004/02/29(日) 22:16
祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり ですね・・・
私も人にアドバイスをするほど詳しくも賢くもないので、
私の今知っている限り、思うことで恐縮ですが・・・
>この様な一見何の落ち度もない人の「理不尽この上ない死」を私たちはどのように捉えたらよいのでしょうか?
その様な人たちに私はかける言葉を見つけることが出来ません。
これ、「お寺ネット」でいろんな宗派のご住職さんに聞いてみるといいですよ。
実際目の前で起こったとき「どう捉えるか」「どんな言葉をかけようか」と考えている暇はないです。
今は今出来る自分の精一杯な行動を起こすのみです。
行動してその結果の生きた言葉が相手に届くと思います。
届かないなら何かが違っている、道理からはずれている、ということかも知れませんね。
御釈迦さんの言葉や道理は指針であり、マニュアルではないと思います。
また悲劇や不幸を自分に当てはめた時、この理不尽さをどう捉えるか。
私の場合は、理不尽も沢山味わったけれど、それでも過去は過去で前へ進む力を身につけることが、
人間には出来る、という実感がある、としか今はいえないなぁ・・・
おそらく、そういう積み重ねでいつか道理もわかってくるものだと思います。
で、そういった積み重ね方が各宗教各宗派の教えで変わってくるのでしょう。
お釈迦さんか日蓮さんか学会かでも違ってきますね。
(ちなみに御釈迦さんは目の前に大勢溺れている人が大勢いたら、どうやって助けるか?
貧乏人より金持ちか、将来何の役にも立ちそうもない人より世界の発展の為に役立ちそうな人か、
犯罪者より聖者か、病人より健康な人か、大人より子供か、祈祷や念力や奇跡を使うか。
お釈迦さんの答えは「自分の手の届く目の前の人から助ける」だそうです。
ああシンプル。キリストさんはいかに・・・)
68
:
みれい
:2004/02/29(日) 22:24
本当に、ここで話すという事も何かのご縁と思います。
遠いところに住んでいるのか、同じスーパーで買い物をしているのか、わかりませんが(笑)。
案外ご近所だったり・・・
69
:
非活動1年生
:2004/02/29(日) 22:40
みれい様
今日が2月の最後の日ですね。と言うことはこれでしばらくはお休みでしょうか?
寂しいです〜。又、お会い出来る日を楽しみにしてます。
>犯罪者より聖者か、病人より健康な人か、大人より子供か、祈祷や念力や奇跡を使うか。
お釈迦さんの答えは「自分の手の届く目の前の人から助ける」だそうです。
ああシンプル。キリストさんはいかに・・・)
同じだと思いますよ。良くは分かりませんが、キリストは一般人の「悪人」とか
「罪人」の概念を覆した人です。(と、私は思います)
>理不尽も沢山味わったけれど、それでも過去は過去で前へ進む力を身につけることが、
人間には出来る、という実感がある
私もそう思っています。私の場合はそれは「道理」よりはもっと大きな尺度がある
と感じる事で可能になった、(と言うと又、ややこしいですね)
ともかく理不尽さが有るが故に人は「祈る」、それを覆したいがゆえに「信じる」のだと
私は思います。
>御釈迦さんの言葉や道理は指針であり、マニュアルではないと思います。
いかにも、です。(私の場合は、主語がお釈迦さんでは有りませんが)
まだまだ話は尽きませんが、私はみれいさんが以前は「私には宗教は必要がない」と言うような
言葉を他掲示板にて仰っていたのを覚えています。(違ったらスミマセン)
しかし「宗教」という事を今一度お考えになられるようになったことを大変喜ばしいと
(老婆心ながら)思っています。どうか、お元気で。本当にお世話になりました。(感涙)
70
:
ラビット
:2004/03/01(月) 07:19
>(ちなみに御釈迦さんは目の前に大勢溺れている人が大勢いたら、どうやって助けるか?
>貧乏人より金持ちか、将来何の役にも立ちそうもない人より世界の発展の為に役立ちそうな人か、
>犯罪者より聖者か、病人より健康な人か、大人より子供か、祈祷や念力や奇跡を使うか。
>お釈迦さんの答えは「自分の手の届く目の前の人から助ける」だそうです。
>ああシンプル。キリストさんはいかに・・・)
これは私も時々考えます。舟に乗っていて沈んだ時とか地震に遭った時とか
電車に乗って事故にあった時とかですね。普通は身内からとか助けやすい
周りの子供とかになりますけどね。自分が死んでも誰か一人でも助けなければ
とまではまだなれません。
人間死ぬまで勉強だという言葉がありますがそうだと思います。たとえ負け組みに
なったり刑務所に入ったりしても諦めずに信心して精進、努力すれば誰でも救われ
人格者になれる、全てそのためのプロセスと考えればいいのかもしれません。
71
:
石のだるま
:2004/04/10(土) 09:30
他の掲示板でも書いているので内容は重複しますが、お許しを。
仏のいう法則とは何かを整理してみての私の意見。
第一の法則 人(仏)はいつか必ず死ぬ時がくる。
<補足説明> 逆に言うと死んだ者はいつか必ず生まれるということでもある。どんな時代に生まれ、どんな環境に生まれるかは分からないが、仏といえども寿命が存在することに違いはない。
第二の法則 寿命には個人差があり、時代によっても集団としての平均寿命の差と違いがある。
<補足説明> 生活スタイルによっては、この平均は延びるだけでなく縮むこともあり得る。どんなに暴飲暴食をしてもいいということではない。特に人間苦があると縮む傾向が強いということでもある。戦争などはその際たるものであろう。生きる上で人間苦は大敵である。故に人間苦は滅ぼす責任が生まれる。害虫を退治するように特に仏にはその責任が生まれるし望まれる。人であっても仏であっても、その寿命の長短はいつの時代にあっても存在する。比較するとどうであったのかという違いでしかない。
第三の法則 120年限界説は存在しない。
<補足説明> ここでは120年という数字を使ったが、常識として人間が120年という数字を頭に描いているから使ったまでで、150年であっても200年であっても限界説としては存在しないということである。強いて言うなら“尽未来際”としての可能性があるということである。時代と共に生き、歴史と共に生きるのが人間の本来あるべき姿と理想であるということになり、宇宙時代とはそんな時代でもある。そのために無限の時間と空間があり、それを生かしきるか否かということになる。
すでに書いてあることだが、仏というのはスーパーマンではない。外見は普通の人間である。故にいつでも死ぬ可能性は持っている。言葉としての完全なる不老不死ではない。ただいたずらに死を恐れる必要はないとは言える。また人間(仏)にはいたずらに人を死に追いやらないだけの責任と義務が生まれ、それを守らねばならないし守る必要が生まれる。人(仏)は人(仏)を殺さないという法律や道徳でもある。権力者といえども例外はない。
人が死の危険にある時には、あらゆる手段を講じても守らねばならない。それは言われなくても守るべき仏としての義務と責任である。人と仏の違い、それは寿命の違いでしか認識することはできない。悟りの世界に特別な霊能力などは必要ないものであり、普通の認識能力と継続への力さえあれば充分に悟りは可能である。馬鹿は死なねば治らないと巷の言葉にはあるが、確かにそういうことも言えるのかもしれない。仏に成れない人間は早く老いて早く死ぬ運命にある(かもしれない)ということである。嘘を語るのは仏であったのか、人間であったのか、僧侶であったのか、学者であったのか、はたして誰なのか?
72
:
が〜ん
:2005/01/06(木) 02:32
はじめまして。非活のガ〜ンと申します。色々な方の様々な捉え方は勉強になります。
組織というものは上意下達の習性から逃れられない存在だと思います。それゆえ「仏」というものを遠い存在にしておきたがるのでしょう。「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて」とありますように、釈尊も日蓮も組織の頂点に君臨するつもりは毛頭なかったのではないかと私は考えています。そして私は、日なたの部分の伝承しか残ってない釈尊よりも、人間くさい日蓮のほうに憧れを感じます。
73
:
地震
:2005/01/25(火) 21:39:04
が〜んさんはじめまして。
組織という観念というものに従って組織に属するのであれば、それは、悪魔の絆だと思います。
こうこうあれこれという因縁に従って組織に属したのであれば、それは悪魔の絆から離れた縁というものに拠っているもので大丈夫だと思います。
74
:
地震
:2005/01/25(火) 22:40:39
もし、この縁に常に洞察を続けるなら、かつての因と果は滅して不可思議なる、必遇然の一致を目の当たりにすると思います。
維摩経「かつて会わないのに今会う」。不可思議解脱(不可思議を認めて迷わない)にはいると思いました。
だから信心で意味の無いことは存在しないと先輩は言うのかも。と思いました。
すいません。私も非活です。しかし学会員の組織に属する者として認めて貰っています。
悪魔の絆というのは経典の言葉であって、(不信)に近いものだと捉えています。
75
:
地震
:2005/01/25(火) 23:20:13
不可思議というのは考える余地を与えない・・・。つまり、同時に起こる。
思惑外れな部分が過去と一致するが、本来見るべき因縁には関係しないので知り得ない。ということでもあると思います。だから、あえて、必偶然という言葉は撤回します。
76
:
地震
:2005/01/25(火) 23:32:54
過去に限らず他とも並んで一致することがあり、それは驚嘆することに等しい思います。
観念の虜は不信のもとで、因縁に従うのは信のもとだと思うのですが、いつも例外があると思いますので
すいませんが、このへんで止めておきます。
77
:
地震
:2005/01/25(火) 23:57:14
77。
思惑外れであろうがなかろうが過去と一致する。これは記憶力を養うものであり、確かであるという信を
得る元となると思います。
78
:
地震
:2005/01/28(金) 20:25:40
(ここに偽の独覚がいるとして、全ての思惑は異教徒の教えであると知り、あらゆ
る論争に傷つけられる事が無く、無の境地であり、また、言葉の世界において主語
を持たず、無始無終の完成者である者がいるとする。
この人は主語を定め、有始有終に入るにも自在なのである。
しかし、無間の独覚から脱することができない咎があるのである。
それ故に、両界による神通力によって彼は全てを剥ぎ取られる事により、恩に信順
し、真の独覚になるのである。
79
:
地震
:2005/01/28(金) 21:07:36
但し、この経に遭う者に限る。また、剥ぎ取られたもの、捨て去りしものはこの経にて最高の玩具のごとき形となって再び与えられるのである。)
80
:
地震
:2005/01/28(金) 21:12:09
玩具のごとき→訂正→願望の形
81
:
地震
:2005/01/28(金) 21:56:22
多分一般の学会員は現実主義で民衆主義なので、「それは無いだろう」とか「不思
議である」とか「祈るべきである」とか「魔の所為である」と答えると思いました。
しかし、言葉ではどうしょうもない人に私はこのように言うのです。
「言葉の秩序を乱し、言葉の持つ意味を無効にすべきではない。
無効にすれば神通力によって補われる。
神通力によって無意識が働くことは、意識にとって恐怖でありうる。」と。
しかし、逆をする人には逆を答えています。
言葉で済んでる内が良いのかもしれませんし、行き過ぎて言葉ですべてを把握する
ことは逆に良くないかもしれません。
お詫び:
表現方法として神通力と言う言葉や仏教用語を使ってみたかっただけだから不気味
に思った方の為にここでお詫びします。m(_ _)m
っていうかそういう方には無視されてると思いますが(笑)失礼します。
82
:
地震
:2005/01/28(金) 22:09:47
何度もすいません。>81ですが、レスも返って来てないのに(笑)をいれると
おかしいと思いました。すいません。
あと、80の訂正で願望の形に訂正すると願望の形形となってしまうので、願望
のにまた訂正します。すいませんでした。
83
:
地震
:2005/01/29(土) 16:45:02
(ここに偽の声聞がいるとする。常に教えを理解し、その教えを聞いて喜び自分の
ものとする力と機根を備えている。また、自らに与えられない言葉も自らのものと
し、常に教えを聞くことと、それを理解し師の言葉を理解する事において巧みであ
る。しかし、この人は常に同じ類の物しか受けられず、そういうことが理由で無間
の声聞から脱することができない。しかし、この安楽を完成させようとし、自ら他
の利を横取りしようとする事により失敗し、自信を失うとともに全ての教えは捨て
られ、それまでの師から教えを聞くことを受け入れる事ができないでいる。それ故、
自らを道を誤れりとし、振り返り道を求むる以前の恩人に信順するのである。
この経に遭うひとは、失われた教えは不動のものとして再び与えられ異なる教えを
利あるものとして通達させることとなり無間より脱するばかりでなく善き教えを常
に両界より受ける恵みを得、真の声聞となるのである。)
(この経に遭わないものは川原で石を積んでは鬼にそれを崩される子の絵図の如
し。)
84
:
地震@はぐれメ○ル
:2005/01/29(土) 17:09:57
夢物語りはまだ続けてもよいのでしょうか。ニーゲチャオーット......(((^。^;
85
:
地震
:2005/01/29(土) 22:08:47
書き込むことでいやされました。遥さん=Loveさんありがとうございます。
84は愛嬌です。なれなれしかったらすいません。
では、唱題します。
86
:
ブルーセブン
:2005/01/30(日) 16:57:03
地震からHNを変えました。
僕は楽しい範囲で占いやカルトが少々好きになったことがありまして、どうもこの
HNは嫌われそうなので。
ところで、ブルー・セブンの法則って知ってますか?
最近知ったのですが、ブルーとセブンは嫌われないという法則があるそうです。
そういえば細○さん最近見ないなあ。
87
:
ブルーセブン
:2005/02/25(金) 21:15:06
>>86
カルトとオカルトと同じと思ってました(汗
カルトはオカルトと思ってました。間違いです。
カルトについてもよく知りません。
訂正させて頂きます。
88
:
ブルーセブン
:2005/03/02(水) 14:37:04
仏教っぽいことを書いたと思ったのですが、読んだ書物をもっともらしく連想しただけのような気がします。
90
:
Love
◆gxloveUhfc
:2007/03/06(火) 09:42:42
rice boyさんの質問です
>煩悩障と煩悩魔の違いって分かります〜?
なつかしい。。。
三障四魔だーーーwww
じゃああ、わかりやすく説明しますね
煩悩障とは、
riceboyさんの常識のない書き込みをするという『煩脳』の働き
いわゆるおかしい行動をとってしまうことです
煩悩魔とは、
riceboyさんの常識のない書き込みをするという『煩悩』の働きを促す魔の働きのことです
この『魔』というものは、イロイロな姿に形を変えてしまうので、この『魔』にいかにふりまわされないかが『信心』です
93
:
riceboy
:2007/03/06(火) 22:04:16
Loveさん、すばらしいですね〜。パチパチパチ(拍手)、さすが、教授だ
けのことはありますよね。僕なんかまだ、その一段、
下ですからまだまだですね〜(笑)。因みに煩悩即○○も教えて欲しかっ
たですね〜。
94
:
riceboy
:2007/03/06(火) 23:50:02
仏法あれこれ。。。お勉強スレットというタイトルをつけるのは、
勝手ですけど、仏法を命で理解していないのに、信心の確信を掴んだこ
とが無いのに、このタイトル付けるのは、まだ早いような気がします
よ。「上げ足取り方あれこれ。。。お勉強スレット」にしたほうがいいと
思いますよ。
95
:
Love
◆gxloveUhfc
:2007/03/07(水) 09:13:25
>>93
riceboyさん
勝手な解釈は困りますね
やっぱりバリバリさんは恐いですね
私の書き込みのどこに『教授』と書かれているのかとても不思議です
>>94
よっぽど悔しかったんですね
可哀想に(┯_┯) ウルルルルル
今朝は北海道とても寒かったのに、朝7時40分にはここを覗いていたのですね
ごめんなさいね
主婦って以外と忙しいんですよ
書けば書くほど『創価学会』の悪い部分を出していることにまだ気がついてませんね?
何度もいいますが、ここは削除しませんよ
96
:
Love
◆gxloveUhfc
:2007/03/07(水) 10:23:02
>>91
>>92
Loveの2重投稿により削除していますーぺこ <(_ _)>
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