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仏法あれこれ。。。お勉強スレッド

71石のだるま:2004/04/10(土) 09:30
他の掲示板でも書いているので内容は重複しますが、お許しを。
仏のいう法則とは何かを整理してみての私の意見。

第一の法則  人(仏)はいつか必ず死ぬ時がくる。

<補足説明> 逆に言うと死んだ者はいつか必ず生まれるということでもある。どんな時代に生まれ、どんな環境に生まれるかは分からないが、仏といえども寿命が存在することに違いはない。

第二の法則  寿命には個人差があり、時代によっても集団としての平均寿命の差と違いがある。

<補足説明> 生活スタイルによっては、この平均は延びるだけでなく縮むこともあり得る。どんなに暴飲暴食をしてもいいということではない。特に人間苦があると縮む傾向が強いということでもある。戦争などはその際たるものであろう。生きる上で人間苦は大敵である。故に人間苦は滅ぼす責任が生まれる。害虫を退治するように特に仏にはその責任が生まれるし望まれる。人であっても仏であっても、その寿命の長短はいつの時代にあっても存在する。比較するとどうであったのかという違いでしかない。

第三の法則  120年限界説は存在しない。

<補足説明> ここでは120年という数字を使ったが、常識として人間が120年という数字を頭に描いているから使ったまでで、150年であっても200年であっても限界説としては存在しないということである。強いて言うなら“尽未来際”としての可能性があるということである。時代と共に生き、歴史と共に生きるのが人間の本来あるべき姿と理想であるということになり、宇宙時代とはそんな時代でもある。そのために無限の時間と空間があり、それを生かしきるか否かということになる。

すでに書いてあることだが、仏というのはスーパーマンではない。外見は普通の人間である。故にいつでも死ぬ可能性は持っている。言葉としての完全なる不老不死ではない。ただいたずらに死を恐れる必要はないとは言える。また人間(仏)にはいたずらに人を死に追いやらないだけの責任と義務が生まれ、それを守らねばならないし守る必要が生まれる。人(仏)は人(仏)を殺さないという法律や道徳でもある。権力者といえども例外はない。

人が死の危険にある時には、あらゆる手段を講じても守らねばならない。それは言われなくても守るべき仏としての義務と責任である。人と仏の違い、それは寿命の違いでしか認識することはできない。悟りの世界に特別な霊能力などは必要ないものであり、普通の認識能力と継続への力さえあれば充分に悟りは可能である。馬鹿は死なねば治らないと巷の言葉にはあるが、確かにそういうことも言えるのかもしれない。仏に成れない人間は早く老いて早く死ぬ運命にある(かもしれない)ということである。嘘を語るのは仏であったのか、人間であったのか、僧侶であったのか、学者であったのか、はたして誰なのか?


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