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仏法あれこれ。。。お勉強スレッド
58
:
両
:2004/02/10(火) 14:33
>>53
非活動1年生様
トラウマ本については、最初のきっかけが「サルでもわかる何々」でした。だからショックが大きい(笑)。「自分は偏ったところがあるな」との自覚もでてきました(笑。
日蓮を本仏とするのは、学会も宗門もそうですね。日寛の教学が根にありますから、これはどちらも一宗として変えられないことだと思っています。だから日蓮宗各派との隔たりも将来も埋められないような予想をしています。
御書を読んでいて、本仏の自覚から書かれた部分とそうではない部分を佐渡前後で分類していますよね。法華経文底に秘められた極意を読み砕くため、後世の教学から確立していったものだと思いますが、今の自分の信心からすると、これの方が題目を信じるという立場からは素直に入ってきます。
つまり、文底という捉え方に汎用性を感じていて、意味を砕き後世に応用できる可能性を残したものだと考えているので、日蓮が本仏であるとすることに、自分個人としては論理の必要性を感じているということになります。
また、新しいパラダイム転換が受け入れられる方法だと捉えています。「日蓮の本音は仏教を悟ったというより、自分の発想に近い思想が法華経であった」と捉えると、本仏となるのが妥当だとの考えです。
学会教学については、そう言うと統一されている印象を持ちますが、実際、自分が知る範囲で、違う見解が多く混在しているように思っています。学会のオフィシャルな捉え方としては池田氏の著作からくみ取るのでしょうが、どうも教学として考えるというより部分所見を述べるもので、統合されたものだとは言い難い。また、川田氏らのような研究者の考え方とも矛盾しているという印象を持っています。
しかし、信仰者としては、教学の部分の排除せず、また無条件に信用するのではなく、誰々何宗だからということより、所在よりエッセンスが自分の生活上有効で妥当な解釈を求めていくという意味で、学ぶ姿勢を保つようにしています。
学会の評価ついては、もともと教義と指導実態が明らかに異なる組織ですし、教義を都合良く組み合わせることに矛盾を感じる会員も少ないということもあるでしょう。難解な解釈をどう論じようが、理念の正当性ではなく、まるでお話にならない組織の実態を「常識」で判断しています。
小学生から活動者としてやってきた者から見て、「これでは会員が不幸になる」と、今、当たり前に思っています。実際、およそ、周囲の活動者と言われる人で、健全な精神性を持っている人が全く居なくなってしまった。と感じています。
組織実態は客観的に観察して判断すればいいことですが、これをあえて教義と関係させるならば、末端組織に降りてくるものは、なんら根拠のない、一貫性のない、幹部や組織に都合のいい命令ばかりで、仏教とも日蓮の仏法とも異質なものだと思っています。
勝った負けたと、個人崇拝と、メンツ論と感情論ばかりで、思考の根拠すら無い。その結果、盲従することを強いることになり会員が病気になると言えば、言い過ぎでしょうか。
追伸。
この頃、午前中、毎日頭痛に悩まされていました。
何が原因か、風邪でもないし自律神経系の疾患かと思っていました。
ところがなんと、朝風呂に入るのを止め、
シャワーで済ませるようにしたら直りました(笑
寝ぼけて湯につかって目を覚ます習慣がよくない。
これはやめたほうがいい冬は血管が切れると思いました。
だから、こんな頭悪い人なので、もう少し軽い話題にしてください。お願いします。
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