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コミュニケーションと聞き従い

4にほ:2004/07/14(水) 21:21 ID:rYdrWbR6

>>3「権威への傷と、リハビリ」の続き

私は、権威をあらゆる人に対しての絶対性として自覚した人は、キリストが嫌われた、パリサイ人律法学者に当たると、今は思っています。

正しい教会の権威とは、愛を持ち、下位に居て仕えることで、初めて神の国で認められるもので、徹頭徹尾その姿勢を変えるべきものではない、と思います。「天で神に認められる人は、最も低い人だ」とは、何の解釈も必要としない、事実そのものだと思います。そして、低くなることは、平安をもたらす御霊の実によることでしょう。これは正論です。
ところで、パウロは、人を裁き投獄した自分の律法知識をゴミ扱いし、封印しました。人をつまづかせないために、偶像に捧げれた肉を食べないと宣言しました。
今、私は権威について、今そのような思いです。律法が良いものでしたが、信仰による救いの前には、つまづきになりました。権威もそのようなものになってしまう現状があるのなら、愛のゆえに封印するのが福音的だと思います。神はそれを理解されると思います。
私は今は、自分が権威を使わず、意識することなく、奉仕に当たるべきだと、考えています。また、それしかできません。
なぜなら、私の権威の意識はTLCCCで完全に歪められているからです。

また私はこれからの奉仕で、私の奉仕を受け入れてくださった誰かが心の中で、私の語った言葉に霊的力や助けを受けたなら、そのまま口に出さず心の中で感じていて欲しいと思います。そして、その方は、表向き反発的態度であってもいいと思います。

TLCCCは、形ばかりの権威を求めたのではないでしょうか。
信徒が表向き反発しても、信徒個人で中味の成長があれば、良しとすべきと思います。
実際に反発されると、動揺はしますが、それこそ神に祈り、短絡的な判断は避けるのが知恵だと、私達は自分に言い聞かせなくてはいけのでしょう。

そして、神の圧倒的なあらわれの時、愛において忠実だったかを、神に見ていただきたいと思っています。

初めの最も純粋な思いや愛を思い出すことが、私には最近かなり助けになっています。しかし、それも、周りに理解し受容し肯定してくれる人がいて初めてできることだと感じます。まずは、かつての『リバイバルの器』という人間的努力の鎧を脱ぐ努力と、奉仕や信仰の動機の再確認を始めることが、大切だと思います。そして、その過程を周りの方にお話しされることをお勧めします。きっと良い交わりが与えられると思います。

私も自分自身に対してまだ葛藤の中に居ます。しかし、この権威の問題を、神が意図した通り正しく理解する過程が、今導かれていると思います。
主の働きに預かるものとして、及ばずながら、共に考えさせていただければと思います。


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