レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
高崎がわかるプログ・サイトPart2
-
民主主義を標榜する国アメリカだったら斬首刑の「指導者計3人」はヒーローであり、処刑を実行した藩主は悪者。そういうふうにアメリカ人はとる。その史実が映画化にもなるだろう。ところが日本ではそうはならない。自らの命を賭けて、多くの人の窮状を救うなんて簡単には真似できない。日本の学校にあっては本当の偉人は教えないのである。
*****
高崎五万石騒動義人祭
刑場跡で指導者らしのぶ /群馬
毎日新聞2017年2月6日 地方版
廃藩置県前の1869(明治2)年に高崎藩の農民が年貢軽減を求めた「高崎五万石騒動」で処刑された3人の指導者らをしのぶ「第7回高崎五万石騒動義人祭」が5日、高崎市東町の刑場跡にある「高崎五万石騒動義人堂」であった。高崎五万石騒動研究会(星野進乎(のぶお)会長)のメンバーや地域の人たち25人が焼香して遺徳をたたえた。
この後、城東北公民館に会場を移して「しのぶ会」が開かれ、会メンバーで元教員の萩原慧さん(84)が農業経営が成り立たないほど年貢が重かったことや、農民が1年半にわたって訴えの内容を話し合ったことなどを講話した。
研究会によると、五万石騒動は高崎藩城付領(五万石)の農民約4000人が、周辺地域に比べて重い年貢の軽減を求めて城下に押し寄せ要求書を提出した。農民の行動は整然としていたが、藩は翌年2月4日と9月7日に指導者計3人を斬首刑に処した。農民は屈せずに運動を続け、廃藩置県後の71年に減税が認められたという。【増田勝彦】
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板