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社会として機能する人間の組織生活から政治を取り去ることはできない。というのは人間の組織生活そのものが政治であるからだ。政治的という言葉は本来悪い意味も良い意味も無い。ところが、「政治的」という言葉を都合よく使うのは群馬県の特徴のように思えてならない。つまり権力側にとって都合の悪いことはすべて「政治的」となる。議論をしないか、させない風土がある。とても不公正であると指摘するにとどめるが、どういうことか?分かりやすく説明すると、例えば高崎経済大学で現実に行なわれていることを例にとると分かりやすい。高経大には大学直属と自慢する高経大応援団が現在存在する。かつては学生自治会などを牛耳って中核派(過激派)が闊歩していた時期があった。その団体は民主主義を無視する、まことに「政治的」な団体であった。では応援団なる団体とは何ぞや。その応援団は何を隠そう、明治神宮にその団体名でお参りに行ったり、大日本帝国陸軍の高崎歩兵連隊を崇める歌などつくって自慢する団体である。高崎歩兵連隊とは?高崎で創られ、国内では労働者のストライキなど鎮圧したり、大日本帝国陸軍の一翼として海外派遣し、隣国侵攻、現地人の虐殺にも参加した旧兵隊たちで、パラオで玉砕した。その帰還兵は現地人の虐殺等で戦後裁判にも掛けられた。その調書には虐殺の詳細が記されている。その高経大応援団がなんと大学直属ということである。つまり学長からはじまって、下部の組織が指導、監督しているのである。この大学にははたして民主主義が存在したことがあるのだろうかと疑問が沸いてくる。民主主義を理解し、それを育むのが戦後生まれの公立大学の義務なのだろうが、そんなのは破棄。公然と民主主義を土台にした現行の教育基本法や最高法規の憲法を無視している。それすら大学とし気付いていないようだ。凄まじいの一言である。群馬県の大学には法学部が存在しないということも何か関係するのだろうか。政治的に不公正というよりも偏ったと言った方が良いだろう。「政治的」が一方では悪く、一方では許容されるという事例なのだろう。それが何の疑いもなく、既成事実として積み上げられて、今日まで到っている。まことに遺憾である。
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高崎・朝鮮人追悼碑訴訟 県側「政治的発言を繰り返した。重大な違反」と主張 口頭弁論
2017.6.22 12:05 産経
群馬の森(群馬県高崎市)の朝鮮人追悼碑をめぐる裁判の第14回口頭弁論が21日、前橋地裁(塩田直也裁判長)で開かれ、碑の設置不許可決定に至る経緯について当時、県の都市計画課長だった中島聡・県土整備部長と守る会の神垣宏事務局長の証人尋問が行われた。
中島部長は、平成24年4月の追悼式で政治的発言があったことをうかがわせる記事を同年5月に朝鮮新報がインターネットに掲載して以降、「県民から苦情や抗議が寄せられ追悼碑自体が論争の対象となった」と説明。公園内で追悼碑に反対する団体が県と小競り合いになり警察まで出動したとし「同会が政治的発言を繰り返したため公園の利用が阻害された」とした。
これに対し、原告側の角田義一弁護士が「時間をおくことで論争が落ち着き元に戻るとは考えなかったのか」と質問。「(碑の設置前に)長い間、双方で話し合い政治的な行事は行わない条件で碑の設置を決めたにも関わらず重大な違反があった」とし、不許可とした事情を述べた。
これに関連し塩田裁判長が「設置以前の14年4月ごろから県側は『強制連行』を碑文から除外するよう指摘、問題視していた。追悼式などで強制連行に触れる発言をしたのはどうなのか」と質問。神垣局長は「表現の自由はあるが、問題という認識はあった。主催者として考えなくてはいけなかった」と答えた。
次回は7月21日。証人採用された茂原璋男元副知事の証人尋問が行われる。
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