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高経大がわかるプログ・サイト
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繰り返して凡人が推奨する農業政策がすでにここにあるではないか。ブドウは人間様の食料になる。それだけとっても養蚕の桑とは比較にならないほど有益な農産物である。ブドウはワインばかりか、ソフトドリンクにしてもよい。乾燥させればレーズンとして、パン製造などの原料にもなる。どんずまりの養蚕業への執着した群馬の農業政策は農業従事者の視点で考えられていない。農民の生活は二の次。群馬の県政は誰の味方か?農民の味方ではまったくないと指摘したい。
高経大は政治組織なのか、それとも戦後の民主主義を理想として建てられた教育機関なのであろうかと疑問が沸く。前述した群馬県の誤った農業政策を後押しし、官学一緒になってワッショイしている有様はなんとも悲しい。学問の独立と大学の自治によって、大学の価値が日本ばかりか、世界で試され、学問の発展が見込める。それによってのみ、一部の者ではなくて、多数の市民の有益な価値の創造ができると信じる。凡人が高経大の改革に「民主化」を強く要望していることはご存知かと思うが、それが高経大が高等教育機関としての発展にとって必要であると確信している。
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地ワイン便り
群馬・榛東 しんとうワイナリー 生食用ブドウで逸品
毎日新聞2017年4月11日 地方版
写真=1991年に建てられた本格醸造所「しんとうワイナリー」=群馬県榛東村で=しんとうワイナリーで醸造したマスカット・ベリーAの赤(左)とデラウェア
榛名山は赤城山、妙義山と並び群馬県の「上毛三山」と呼ばれる。その東の裾に広がる榛東村は北関東有数のブドウ生産地だ。毎年秋になると、ブドウ農園の直売所を訪れる人々でにぎわう。だが、「榛東ぶどう」の歴史は意外に新しい。
村はかつて養蚕で栄えた。しかし、化学繊維の普及とともに衰退し、1960年9月、養蚕農家数人がブドウへの転作を決意する。
「しんとうワイナリー」社長でブドウ栽培農家2代目の一倉幸男さん(69)は「それは巡り合わせだった」という。
太平洋戦争末期、村に疎開してきた人の中に、ブドウの一大産地・山梨県勝沼村(現甲州市)出身者がいた。「その人が、ここは水はけも日当たりもいい。いいブドウができるって言ってたのを覚えてたんだな」
土壌改良など苦労を乗り越え、榛東ぶどうは62年秋に初出荷を迎える。しかし--。「出来は悪くなかったと思うが、買いたたかれた」。近隣の前橋や高崎の市場に持ち込んだが、すでにブランドになっていた「山梨産」に押され、つけられる値は安く、買い手がつかないこともあった。
悩んだ農家たちが勝沼出身者に相談したところ、「売れ残ったらワインにすればいい」と教えてくれたという。勝沼でもそうしているとのことだった。
63年5月、生産者65軒が集まって「群馬葡萄酒株式会社」を設立する。しんとうワイナリーの前身である。醸造所は、村内にあった漬物工場を転用した。
ワイン造りでは、果汁以外は加えないなど「基本に忠実に」(一倉さん)を鉄則とした。税務署の醸造許可取得や販路開拓など数々のハードルを乗り越え、68年にデラウェアの白、マスカット・ベリーAの赤を発売した。
高度成長を背景にした洋酒ブームにも乗った。近くの伊香保温泉のホテルが宿泊客に提供するなどの協力もあって榛東ワインは徐々に広まっていく。
91年には本格的な醸造所が完成した。今では、720ミリリットル瓶で毎年2万本前後を出荷するまでになった。
一方で悩みもある。
榛東ぶどうの評価が定着し、売れ残りが少なくなった。ワインを造るには村外から生食の売れ残りや粒が小さいブドウも仕入れなければならない。一方、村内から「榛東産100%じゃなきゃ意味がない」との声も聞こえてくる。榛東ワインの歴史は生食の売れ残りから始まった。「国内産生食用100%」。それが榛東ぶどうとワインにこだわる一倉さんたちの誇りだ。【高橋努】
◆甘い口当たり 保存でコクも
デラウェアの白、マスカット・ベリーAの赤(ともに1本1360円)が創業時からの主力。白は甘口で、辛口をうたう赤も生食用を仕込むせいか、やや甘めという。一倉さんは「『もっと渋みを』という声もあった」としながらも「結局、醸造開始のころからの甘い口当たりが受ける。購入後、高温と日当たりを避けて保存すればするほどコクも出ます」と一倉さんは言う。このほか、ブドウと並ぶ村の特産品ウメを用いた「梅ワイン」は、「梅酒とは異なる深みがある」と人気を集めている。養蚕にゆかりの桑の実を仕込んだ「桑の実ワイン」も新たに売り出した。ワイナリー隣接の試飲・直売所のほか、近隣のスーパー、道の駅などで購入できる。
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