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611凡人:2015/05/04(月) 07:36:55 ID:zll/WUzM0
2011年度 新島学園ビジネスカレッジ
第7回キャリアデザイン講座
キャリア論とシゴト学(自分史作成)
報告書
2012年3月30日
新島学園短期大学

第2回 私のシゴト学(鈴木 叡)

(講義内容紹介:山口)
本学客員教授に就任していただいている鈴木先生には、「私のシゴト学」というテーマの講義をお願いした。

先生は 1935 年に、前橋で農家の長男としてお生まれになった。当時は、農家の長男なら農林高校に進むのが当たり前の時代であった。しかし中学校の担任から普通科進学を勧められ、前橋高校に進学された。 前橋高校卒業に際し、家庭事情から大学進学は断念され、銀行の就職試験を受験された。F 都銀が地元の高校から1名採用したが、合格者は先生ではなく、商業高校の生徒であった。先生は群馬大同銀行(現群馬銀行)に入社された。先生はそのことを振り返られ、「結果的にはその方が良かった」とおっしゃった。

講義で印象に残った先生の勉強歴を記す。
21歳のとき仕事の必要性から珠算2級取得、26歳で大学通信教育を受けられたが、仕事と両立できずに断念。しかし 30 歳で宅地建物取引主任者試験に合格された。当時の勉強家の支店長の影響があったそうである。34 歳のときには労組役員に選ばれ、労働法全般を勉強、37 歳で銀行業務検定「法務 3 級」取得。これは支店長代理など役職者登用要件であった。 77 年に強戸支店長、80 年に小山支店長、89 年に伊勢崎支店長と、支店長経験を積まれた。 1985 年 50 歳の時、放送大学の正規学生になられた。同大学への取引勧誘にも役立つとして、協力の意味で応募されたという。勤務の傍ら単位認定試験が土日に実施される科目を選んで履修されたこともあり、10 年かけて卒業された。その間、行政書士の資格も修得された。 その後、人事部長、営業部長を経て、1995 年に常務取締役になられ、99 年に群馬銀行を退任され、群馬振興株式会社社長になられた。社長ではあっても業務である損害保険や生命保険の資格を取得されている。 2002 年には群馬テレビ株式会社の第 6 代社長に就任された。67 歳である。 金融から保険なら隣接業界ではあるが、今度はテレビ局である。本社業務だけでなく、送信所や中継局へもすべて足を運び、組織と業務の理解、問題の発見に努められた。 しかも 2002 年から 3 年間、高崎経済大学大学院に入学され、地域史を専攻された。67歳の群馬テレビ社長が大学院で学ばれたのである。

次に、仕事の面での話で印象深かったことを記す。
人材開発の分野でよく聞くのは、入社して最初の上司の影響の大きさである。先生が新入社員時代に大きな影響を受けた最初の上司は諸田幸一氏(当時本店営業部長)であった。豪放磊落にして緻密、「上に立つ者は絶対逃げてはならない。最後の責任は自分がとる」という姿勢で、多くの幹部が育ったという。 その諸田氏は群馬銀行からの出向で群馬テレビの初代社長を務められた。後に、銀行業務に専念され、頭取から会長、そして全国地方銀行協会会長も務められた。 先生が新入社員時代に大きな影響を受けた、あこがれの先輩ともいうべき諸田氏が初代社長を務められた群馬テレビの、鈴木先生は第 6 代社長になられたのである。 先生は銀行からテレビ局に移られ、社員のモチベーションのちがいを強く感じられた。テレビ局の社員は、たとえば報道や制作という職務モチベーションが強く、勤務時間を忘れて仕事をする人が多いという。

先生は現在、本学客員教授の他、群馬県社会教育委員など各種委員等も務めておられる。




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