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高経大がわかるプログ・サイト

293凡人:2013/10/03(木) 03:25:00 ID:cRSoFyHg0
高崎経済大学と知久平 
(2013年9月1日 読売新聞)

開学「中島文庫」が後押し

写真:芦田均元首相の高崎経済大学開学記念講演(「高崎経済大学五十年史」より)

 高崎経済大学と中島知久平との間には関係がある。同大が市立短期大学として誕生したのが1952年(昭和27年)、知久平が亡くなったのが49年のことであるから、直接的な接点があったわけではないので、驚く人も多いであろう。

 49年に誕生した群馬大学は、群馬師範学校(前橋市)、前橋医学専門学校(同)、群馬青年師範学校(高崎市)、桐生工業専門学校(桐生市)を母体とした。商都・高崎市では経済系の学部を誘致しようとしたが、実現しなかった。そのため、旧陸軍兵舎跡に短期大学を設立し5年後には大学昇格をめざした。ところが、短大の蔵書数が大学設置基準を満たしていなかった。そこで、県議会図書室中島文庫の一部を寄託してもらい、設置基準をクリアすることにした。

 中島文庫は中島知久平の蔵書であった。知久平は30年(昭和5年)に衆院議員になった。当時は、昭和恐慌下の経済政策の失敗や金権腐敗から国民の間で政党政治への不満が高まっていた。そこで、31年に国政研究会、翌年に国家経済研究所を開設し、政治家・政党の政策能力を高めようとした。両機関はわが国初の民間シンクタンクであった。

 両機関では〈1〉政治・経済の調査研究、〈2〉欧米諸国で刊行された新刊書を購入し、専門の学者に要点を翻訳させ提出、〈3〉毎金曜日に嘱託学者が講師となり政治・経済問題をテーマとした講演会を開いた。嘱託学者は50人もいて、田辺忠男(東京帝国大学)、大西邦敏(早稲田大学)、猪谷善一(東京商科大学)がその中心であった。蔵書類は約4万6000冊に達し、55年(昭和30年)に県議会図書室に寄贈された(1985年、県立図書館に移管)。

 高崎経済大学の初代学長には田辺が迎えられ、開学記念式典の講師は芦田均(元首相)と川北禎一(日本興業銀行頭取)であった。田辺は知久平のブレーン、芦田は国政研究会で研鑽(けんさん)を積んだ政治家、日本興業銀行は中島飛行機のメーンバンクであった。

 こうして見ると、高崎経済大学は知久平の遺産の上に開学したと言っても許されるであろう。




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