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高崎の町がわかるプログ・サイト

981凡人:2015/05/02(土) 03:54:27 ID:zll/WUzM0
戦前は軍都、戦後は商業都市として栄えし街 上野國高崎
旅行時期 2009/02/15 - 2009/02/16 (2009/02/15投稿)
http://4travel.jp/travelogue/10310744

群馬県高崎市は北関東に在って江戸期はれっきとした大河内松平藩8万2千石の譜代城下町だったにも拘らず群馬県の行政首府たる地位では無い為に一般的には商業の街と見做す傾向が強い様です。此れは群馬県の県庁所在地が高崎では無く前橋に所在する事でも外部から商業地たるを見られる要因となってます。

戦前は帝國陸軍歩兵第15連隊の本拠所在地であり、連隊を設置するにあたり前橋市と熾烈な争奪合戦が行われた事で知られてます。

また明治期には高崎が県庁所在地であったにも拘らず前橋との争いは上部行政最高機関たる内務省対陸軍省の争いに転じ、結局、明治14年(1881年)2月16日の大政官布告第拾壱号に拠り県庁所在地は前橋、陸軍連隊が高崎に落ち着いたものの県庁所在地を前橋市に移管された事は長きの間、高崎市民をして前橋への露骨な敵愾心と怨恨とを生じさせる結果を招来します。

大東亜戦争前は高崎は陸軍に納入する資材供給地だったが、戦後は商業都市へと基盤整備が発展し現在に至ります。大東亜戦争末期昭和20年8月5日未明、前橋市は米軍の大空襲を受け壊滅的被害を被り全滅に瀕しました。然し、高崎市は空襲被害を受けたものの被害は前橋市と比較して僅少であり、結果的に戦前の建築物が温存されます。

然るに、戦後高崎市も他の都市と同様、都市再開発の波が押し寄せ道路拡張という新たな障害が発生します。或る物は解体され永久に姿を消した建築物も多数存在した中で『曳き家』の技術を以って家屋自体を移動後退させ保全させた例も少なくない様です。




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