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群馬県民スレ
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凡人にとって良い面はさて置き、上毛カルタの悪い面を考察したい。それはいかに戦前から群馬が変っていないかが、上毛カルタを読んで鮮明になってくる。制作・発行が戦後昭和22年(1947年)。それから一体群馬はどれほど変ったというのか。群馬の指導者たちは、なにか戦前からの伝統に憑かれて、それに安住しているイメージが浮かんでくる。それとも無能なのか。人気がある県だったら、どんどんカルタの文面が変っていく。産業誘致や新産業がおこり、人口が激しく増え、街の様子が塗り変ってゆく。また過去の人物を圧倒するほどの、新しい分野で活躍する著名人が目白押しに現れてくる。ところが群馬の上毛かるたの文面は66年後の今になってもいまだに生きている。(コレは皮肉。)群馬の時間が止まっているとでも言ったらよいのか。エキサイティングな県でないことは自明である。若者が都会に憧れて出て行く伝統を固持し、地元にではなく、東京に貢献していることは確かである。群馬には総理が多く出ているではないか?政治力と文化的教養とは同じ次元では語れないと此処では言っておくに留める。また、かるたは教科書の暗記と同様、どれだけ子供たちのイメージ力や想像力や町おこしや町作りにマイナスになっていることか。カルタ教育は書かれている言葉に疑問の余地をあたえないし、起こさせない。ほんの一例として「葱とコンニャク下仁田名産」。過疎化で悩む下仁田地域。若者にとって子供の時から葱とコンニャクのイメージに冒され、下仁田と聞いただけで足がすくむ。過疎化対策として、どんなに他産業振興の取り組みをしても、そのイメージの払拭だけでも大変である。面白いことに下仁田では過疎化打破のために東京からの都会人を呼び寄せ、空き家を提供しているという記事を読んだ。都会人なら、当然上毛かるたの存在すらまったく知らない。(笑)
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上毛かるた 著作・商標権 県に譲渡へ 群馬文化協会「公に帰すべきだ」
2013.10.20 02:05
財団法人「群馬文化協会」(西片恭子理事長)は19日、前橋市内で役員会を開き、終戦直後から同協会が発行を続け、広く親しまれている「上毛かるた」の著作権と商標権を、近く県に無償譲渡し、協会を解散する方針を確認した。すでに県との協議が進められており、今月末にも正式に譲渡したい考えだ。
関係者によると、同協会が長く守ってきた著作権と商標権を県に譲渡することを決めたのは、上毛かるたの生みの親で、昭和61年に死去した浦野匡彦(まさひこ)・初代理事長の「いずれ公に帰(き)すべきだ」という遺志を実現するためだという。役員の高齢化で著作権管理などの負担も大きいと判断した。
協会は県に、(1)譲渡後は県が責任を持ってかるたを発行する(2)「上毛かるた競技県大会」の主催を引き継ぐ(3)当面は現在の読み札や絵を変えない−ことなどを求める。
上毛かるたを考案した浦野氏は明治43年、長野原町出身。戦前は満州国官吏を務めた。引き揚げ後の昭和21年、「同胞援護会」県支部を立ち上げ、全国に先駆けて「群馬県遺族の会」を結成するなど戦争犠牲者に尽くした。二松学舎大(東京)理事長・学長や日本遺族会副会長を歴任した。
浦野氏は終戦直後、地元のサツマイモを使い「はらから(同胞)飴(あめ)」を作り、販売収入を生活困窮者の助け合いや同胞援護会の活動に充てた。
上毛かるたもその一つで、22年に「遊びを通して子供たちが群馬の地理、歴史に興味を持つことで、郷土、次いで国を愛する精神を植え付けたい」との思いから、読み札を公募して制作・発行された。
浦野氏らは当時の米国占領下の検閲を避けるため、「雷(らい)と空風(からっかぜ)と義理人情」のように、先祖への感謝や忠孝、国への思いなどを、群馬の風物や偉人、歴史を詠んだ札に委ねたとされている。
こうした経緯から、上毛かるたは単なる名物紹介の遊びでなく、「群馬の戦後文化史」を伝えるものと評価されてきた。
すでに、58年に死去した画家、小見辰男氏が描いた上毛かるたの原画は平成6年に県に寄託されている。
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