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俺は小説家を目指している。
200
:
イチゴ大福
:2005/03/04(金) 11:53:17 ID:1gws7aYE
37.形骸化するアポトーシス。形式化するエンドサイトーシス。
一週間足らずの時間がこんなにも長く感じたことは、今までにはない経験だった。
時間の流れに取り残された意識は、感覚を鈍重にし、そして動作を緩慢にしているようでさえあった。余計な感情と、その矛先の向けられた先にあるものが、彼を動揺させ、激怒させ、憎悪を生み出し、冷静な判断を鈍らせていたことは確かだった。
しかし、まだ冷静さを失っていない彼の理性の部分が、まだ霞に包まれた事件の全様を究明しようと頭をフル回転させていた。それと同時に、事件の解決を早期に何らかの形で早急に導かなければならないことを、彼は考えていた。
彼には今回の事件の犯人がすでに分かっていた。そして、もう、ゴーストには犯罪を行えないことも、彼には分かっていた。分からないのは、なぜ六年間の沈黙を破って、それも今というときになって、ゴーストは行動を起こそうと考えたのか、その点だった。
六年前の事件が今回の事件のトリガーになっていたことは確実である。つまり、ゴーストは六年前の事件の恨みを晴らすべく、甦った被害者なのだ。まさにゴーストの呼称に相応しい存在だといえる。
しかし、六年前の事件と今回の事件の犯行が同一犯のものでない以上、六年前の事件の犯人が誰なのか、やはり謎に包まれたままだった。
梧桐冬樹犯行説はあくまで、県警と検察の不正を暴くための、特捜がでっち上げたデコイである。前田には悪いと思いながらも、彼がそれを利用し、梧桐の周辺を洗わせているのは、六年前の教訓からだった。前田は予想以上の働きをし、梧桐彦一と根路銘国盛との不正な金の流れまで突き止めたが、この事実はむしろあらかじめ予想されていた出来事だといっても良かった。それは、八年前の事件との関係が予想以上に根深いものであったことからも頷ける。彼の理解を妨げているものは、志ノ田と彼を隔てる、二年の差だった。
志ノ田が前田に隠していたことは、八年前の新薬臨床試験事故の際、研究室に根路銘国盛がいたということだった。そして、事件の捜査を指揮していたのは、もちろん梧桐彦一である。志ノ田が個人的に、組織の“力”を利用してまで、八年前の事件に何らかの引導を渡すつもりでいる以上、彼にとっての六年間は志ノ田の捨て駒としての役割でしかなかったことになる。
そこで問題になるのが、志ノ田は真犯人を知っているのか、という点である。六年前の事件は“起こった事件”を利用して、梧桐冬樹の仕業に仕立て上げただけのことで、真犯人は存在していない。死人が出ている以上、どこからか死体を運んできて殺人事件をでっちあげるなどということはありえない。必ず、六年前の事件には、まだ彼の知らない事実と人物がいるはずだった。そして、六年前の事件こそは、ファイの証人の犯行に相応しいものだろう。志ノ田が当時、ファイの証人に辿り着かなかったか、または目撃者情報を含め証拠がでなかったことを利用したか、どちらにしろ、殺害現場に残されたメッセージ性と偏執的傾向は宗教的狂気以外のなにものでもなかった。
彼は志ノ田から手渡された紙を見つめた。
「殺してなにが変わるのか?」
複雑な構造が自壊するシステムは、単純な構造の再構築のための慣例化であるといえる。
壊れる機会がなければ、造る要請は発生しないからだ。むしろ、造る必要があるからこそ、壊れなければ困るのである。カフカの作品に「万里の長城」という短編があるが、バベルの塔が完成しなかった原因を、「新しい技術の登場」とそのための「新しい基礎」のための工事が、延々と破壊と建設を繰り返し、とうとう完成しなかったのだと書いている。硬直化した一面的な合理化の失敗と目的的視点の共有化の困難を、この隠喩で説明しているのは、面白い着眼点である。
壊し、集め、再び作り上げる。しかし、一度壊してしまえば二度と同じものは作れない。
「犯罪者の命は尊いのだろうか?」
尊いのではない、二度と現れない現象だから貴重なのだ。
「現実世界すらも、ひとつの現象ではないのか?」
知覚できるかどうか、問題は境界条件によって導出される特殊解を選ぶ。
「ならば、この殺意は許されなくてはならない。このやり場のない憎悪と、報われない人生にあっては、生きる意味など味気ない。」
そのとき、ピンダロスの詩句を思い出す。『ああ、私の魂よ、不死の生に憧れてはならぬ、可能なものの領域を汲みつくせ。』しかし、この不条理の世界にどんな可能性を見出すというのだろうか?そこで、更に彼は、その詩句を引用した人物の名を思い出した。不条理の哲学者、アルベルト・カミュである。彼は初めて、カミュが「シーシュポスの神話」の冒頭にピンダロスの詩句を引用したのか、その直接的で、感情的な言葉の意味を悟った。
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