[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
無差別級
1
:
闇夜の鮟鱇★
:2003/11/27(木) 17:34 HOST:122.net061211188.t-com.ne.jp
このスレッドは『万有サロン』という名にふさわしく、
あらゆる意見を語り会う為の場にしたいと思います。
もしよろしければ、私のサイトへの疑問や感想もここにお書き下さい 。
2
:
闇夜の鮟鱇
:2003/11/29(土) 10:05 HOST:219.net219106204.t-com.ne.jp
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877101/bbs_plain?base=419&range=1
□ 419 New Re:求めれば得られる 25 Nov (Tue) 10:07 返信する
From:闇夜の鮟鱇 URL:
http://www2.tba.t-com.ne.jp/a-z/
>日本ではキリスト教はあまり馴染みがありません。
>いろいろな誤解や偏見があるでしょう。
まあ、人それぞれに救われる道は違うでしょうから、
他人の信仰についてとやかく言う気はありませんが……
『キリスト教に対し日本人が誤解や偏見をもっている』
という論点については、私には違う見方があります。
私は昔、世界をざっとひとめぐり貧乏旅行した経験があるんですが、
その経験から言えることの一つは、日本も西欧も米国も、
皆、それぞれが『東を見て生きている』ということなんですよ。
例えば、日本人にとって外国と言えば、先ず何よりもアメリカですよね。
そして、その米国人にとって外国とは、西欧であり特にフランスなんです。
ならば西欧人にとっての外国はどうかというと、
決して、米国が筆頭に来ることはありません。
基本的に西欧人は歴史の浅い米国なんか馬鹿にしてますから、
彼らにとって外国と言えばむしろ、日本を含めたアジアなんですよ。
そうした傾向は、各々の国民が外国語を学ぶ時の選択に影響しますし、
また、色々な学問の研究対象を選ぶ時の基準にも影響します。
その結果どうなるかというと、日本人は米国を詳しく知り、
米国人は西欧を、西欧人はアジアを詳しく知ることになる分けです。
ここで注意して欲しいのは、日本人と西欧人とはそれぞれ、
全く異なった文化を知ることになりますが、米国人だけは、
単に米国と西欧というある意味で共通した文化の中だけで、
話が済んでしまうということになるんですよね。
そうした事態が、各々の国民の宗教に対する態度として、
大きな影響を持つように思うんですよ。
つまり、日本人は仏教と共にキリスト教的世界を知っていますが、
西欧人もキリスト教と共に、仏教やヒンドゥー教を知る分けです。
こうして、全く異なる宗教的文化に日常的に接しているということは、
宗教というものに対し、一歩距離を置く姿勢につながると思うんです。
日本人の『信仰心』が余りあつくないことは良く知られていますが、
西欧人についても大体、似たようなことが言えますよね。
それに比べ、米国人の方が特殊だと言うべきなんです。彼らの場合、
話が全てキリスト教的な世界の中で完結してしまうわけですから、
日本人や西欧人に比べて、
宗教的に単一な環境の中で純粋培養される分けです。
その帰結として、米国では今でも、
進化論を学校で教えるのを禁止する州があったりするんですよね。
つまり、人間は神様が作ったのであって、
『猿から進化した』なんてとんでもないという分けです。
ですから、ある意味でそういう米国人の方が特殊な存在なんであって、
日本人がキリスト教に対して懐疑的であるとしても、
それを誤解だの偏見だのと言うのは当を得ていないと思います。
3
:
闇夜の鮟鱇★
:2003/12/10(水) 11:53 HOST:226.net061211183.t-com.ne.jp
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_tree?base=620&range=1
620 Re:見た目・他人の目 闇夜の鮟鱇 2003/10/07 11:50
115.net061198124.t-com.ne.jp
あのね、大抵の人間は人の格好から、その人の内容を判断するものなんで、
それはどうしようもないことでしょうね。
ある意味で、それは人間が生きていく為の簡便の知恵みたいなものなんです。
つまり、他に判断材料がない時は、取り敢えず、
その人の格好からその内容を判断しておくのが無難であるということなんでしょうね。
だから『このファッションは俺の自己主張なんだ』と考えるのは勝手ですが、
その結果、他人にどう見られるかという点まで計算に入れて行動する方が利口です。
例えば、電気屋の店員なんか、
相手の靴を見て『こいつは金をもってるかどうか』を判断します。
ピカピカの革靴を履いていれば、そのように扱われますし、
逆に僕みたいにズック靴なんか履いていくと、
それだけで馬鹿にされて軽く見られます。
私はインテリ乞食ですし、あまり格好を気にしない方でもあるので、
ボロを来て町を出歩くこともりますが、
そうすると人の視線が全く変わるのが分かります。
それで、一時期はむかついたこともありましたが……
次のように考えることも出来ます。
人間の本質を見抜くのもまた才能であるということ。
つまり、外見だけでその人間を判断する人には、
人間の本質を見抜く能力がなということなんです。
実際問題として『つまらない人間ほど、外見で人間を判断する』
というのも私の経験から知り得た事実です。
その結果、どういう事になるかというと、
『もし私がボロを来ていて馬鹿にする人間は、
人間を見る目のないつまらない奴である』ということになる。
そうすると、私が立派な格好をするのは『そうしたつまらない人間の為に、
私がわざわざ判断の手助けをしてやる』ことになる……
それは馬鹿馬鹿しいと思いませんか!?
そこでむしろ、こう考えることにしました。
『もし私がボロを来ていて馬鹿にされるとしても、
馬鹿にするのはつまらない人間だけなのだから、
そいつらが何を考えようと私の知った事ではない』。
実際そうすることには、大きな利点もあるのです。
つまり、敢えてボロを来ることによって、
つまらない人間を自分から遠ざけることが出来るのです。
例えば、金持ちが死ぬと見た事もない親戚が、
遺産目当てに沢山集まってくるなんて言うでしょう!?
逆に言うと、金にしか興味がない俗物は、
ポロを着ている人間には決して近寄っては来ないですから、
ボロは言わば『俗物を遠ざける為の虫よけ』として機能するのです。
まあ、一時はそんな強がりでこだわっていたこともありましたが、
最近はもう面倒くさいので、外に出る時は、
なるべくキチンとした格好をすることにしています。
俗物はどうでもいいとは言うものの、
何かとまとわりつく視線が煩わしいですしね。
特に、あなたみたいな金髪の場合、やくざとかが近づいて来て、
危ない目にあうこともあり得ますからね、
そうした点も充分考えて行動するのが利口だと思います。
4
:
闇夜の鮟鱇★
:2003/12/10(水) 11:58 HOST:226.net061211183.t-com.ne.jp
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_tree?base=626&range=1
626 Re:別スレ別勝負〜! 闇夜の鮟鱇 2003/10/09 11:41
209.net218219051.t-com.ne.jp
>ファッションは人の表層を表します
>表層だって人格ですよ、それを全く無視する人もまた愚かです
結局、人と服装の関係は一筋縄では行かないということでしょうね。
仮に私が『服装と人間の本質が無関係である』なんて言ったら、
ファッション産業の人間はきっと怒るに違いないでしょう。
ですから、私は両者が全く無関係であると言おうとは思いません。
ただ、何とかブランドに何十万円も使える人は少ないと思いますし、
そんな金も暇もない私のような人間だって沢山いるのです。
ですから、服装と人間が無関係とは言いませんが、
逆に服装や外見が人の全てを決めるとも思って欲しくないのです。
結局『服装が人を表す』というのも一面の真理ですが、また
『つまらない人間ほど、外見"だけ"から人を判断する』
というのも、また一面の真理ではないでしょうか。
前に書いた時にこの"だけ"を落したのはまずかったかもしれません。
こうした複雑な問題に対し、一言で結論を下すのは難しいですし、
前に私がボロについて書いた文章も、あくまで、
『一つの視点を提供したに過ぎない』と考えて欲しいと思います。
結局、服装からその人を判断するのも簡便の知恵ではありますが、
外見に騙されずに人間の本質を見抜く目を養うことも大切である、
ということではないでしょうかね。
5
:
wani
:2003/12/11(木) 22:10 HOST:o149185.ap.plala.or.jp
このHPを2ちゃんに晒してもいいですか?
現実のプロフェッショナルな方々からのいいアドバイスがいただけると思いますよ。
ヲチ板っていうのもベタなので社会のカテゴリあたりがいいですかね。
あなたならきっと神になれますよ。
太鼓判押します。
6
:
闇夜の鮟鱇★
:2003/12/12(金) 18:55 HOST:116.net061211190.t-com.ne.jp
オチ板とか、私は業界用語(!?)には詳しくないんですが、
自分の主義として、サイトにリンクを張るのに一々連絡しろのだのなんだのと、
うるさい条件を付ける趣味はありませんし、
どこに晒してもらっても結構なんじゃないですか!?
まあ、晒したい人は、たとえ私が禁止したってさらすでしょうしね。
原則的に『情報をネット上で公開する以上、
後はそれを誰がどう料理しようと勝手』というのが、私の立場です。
(無論、それは著作権を放棄するのとは違いますから、
出所へのリンクはキチンとしていただきたいのですが。)
但し、私もそんなに暇な時ばかりではありませんから、
沢山の『アドバイス』をいただいたとしても、
その全てにキチンと応答できるという保証はできませんが。
7
:
wani
:2003/12/13(土) 18:23 HOST:m158132.ap.plala.or.jp
では管理人の承諾を得た公開という形でいいですか?
なんだか強引にこじつけた格好になってしまったみたいで・・・。
でも、これはあなたにとっていいことだと思っています。
あなたの思想の更なる発展を期待しています。
8
:
闇夜の鮟鱇★
:2003/12/13(土) 20:23 HOST:083.net219106196.t-com.ne.jp
>でも、これはあなたにとっていいことだと思っています。
全くその通りです。別に何も遠慮なさることはありません。
かえって私の手間が省けて助かる位のものですから。
9
:
闇夜の鮟鱇★
:2003/12/14(日) 19:03 HOST:222.net219096029.t-com.ne.jp
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs4.otd.co.jp/470115/bbs_plain?base=416&range=1
416 New 苦しみの源 2003/06/23 12:50 ■Res■
From:闇夜の鮟鱇 URL:
http://www2.tba.t-com.ne.jp/a-z/
最近、チェホフの『三人姉妹』という演劇をビデオで見たんですが……
最後の長姉の台詞には笑っちゃいました。
『今の私たちの苦しみが一体何の為にあるのか、分かったらねえ』
というんです。
つまり、彼女達は『人間社会は必ず進歩するものであって、
今、自分達が苦しんでいるのは将来の人間の喜びの為である』
と信じて疑わないらしいんです。
ところが、こうしてあちこちの自殺関連の掲示板を覗くと、
『毎日が苦しい、今すぐ死にたい』みたいな話ばかりでしょ!?
あの長姉がそれを見たら、卒倒するかもしれませんね(笑)。
結局、現実の社会の進歩は、彼女達が夢想したような、
『気球に乗って空を飛ぶ』なんて段階はとっくに通りこしているわけですが、
そんな技術的あるいは物質的な進歩がいくらあっても、
人間の幸せが来る分けではないということなんでしょうね。
その意味では『欲望追求から苦しみが生まれる』という仏陀の認識や、
『足るを知る』ことの重要さを説いた孔子の主張の方が、
ずっと先を言っているのではないでしょうか。
10
:
闇夜の鮟鱇★
:2004/01/06(火) 09:12 HOST:016.net219096020.t-com.ne.jp
(以下は、私が自殺関連の掲示板に書いた内容に加筆・修正したものです。)
http://bbs3.otd.co.jp/379419/bbs_tree?base=1714&range=1
★★★辞世を残そう★★★
明けましておめでとう……なんて言っちゃいけないんでしょうね!?
ここに来る人は私も含め、正月がめでたい人なんていないでしょうから。
で、その代わりといっちゃ何なんですけどね、
年頭の挨拶がわりに、辞世の歌や句を紹介しようかと思います。
『愚や愚や、汝をいかんせん』もいいんですが、
日本にだってそれに負けない位の伝統があります。
死ぬ前に辞世の詩を残すのは、昔からの日本の伝統ですし、
日本人として生まれた以上は、皆さんもどうせ死ぬなら、その前に、
こうした場所にでも是非、一首(又は一句)書き残して欲しいと思います。
ただ何事によらず、後世に残して恥ずかしくないものを作る為には、
それなりの訓練が必要ですし、作句や作歌でも最低2〜3年かかるでしょうね。
それで、辞世の歌の中で私が最も好きなのは、何といってもこれですね。
行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば 花や今宵の 主ならまし(平忠度)
(忠度は歴戦の武者でありましたが、敗戦を悟り撤退の最中に、
お歯黒にしていることから平家の大将とばれてしまい、
熊野育ちの大力の忠度も、奮戦空しく右手を切られ堪忍し、
念仏を唱えている最中に殺されてしまいました。
討ち取った武将が首を取り、首を包もうとしたとき、
一首の歌が書かれた紙を見つけました。)
http://homepage3.nifty.com/heikyoku-arao/jinnbutu-tadanori.htm
『敗戦の行軍の末に日が暮れて、桜の木陰を最期の宿りとするならば、
咲き誇る花が今晩の私を客人として迎え、もてなしてくれるだろう』
『青葉の笛』という歌でも有名ですが、辞世としては余りに美し過ぎますかね。
それから、忠臣蔵で有名なこの歌も傑作ですね。
風さそう 花よりも猶 我はまた 春の名残りを いかにとかせん(浅野長矩)
『風に誘われた桜の花は、春の名残を惜しむ間もなく散って行くけれど、
花よりも尚はかなく死んで行かねばならないこの私は、
吉良を討ち損じた無念さを一体どう晴らしたら良いのだろう』
例によってネット上には色々サイトがありますが、こんなふざけたのもありました。
五斗はおき 後生も乞わぬ 我が腰を 折りて今日(こんにち) はい左様なら(叩々老人)
(駿河の国に叩々老人という者がいた。禅に興味を持ち、生涯を酒落に暮らしたが、
あるとき子供が紙の幽霊を作って木に掛けて人を驚かしていた。
この老人、こんなものでは駄目だと白の浴衣を着て竹馬に乗って、夜中森林の前を徘徊した。
時に侍がこれを見て、剣を抜いて切ろうとした。
老人は竹馬から落ちてそのショックで腰の骨を挫いてしまい、
それ以来病の床に伏せるようになって、遂に死亡した。)
http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199304.html
無論、五斗と五升を掛けているのですが、
『五斗(50升)と言わず五升の酒を乞うた分けでもない私なのに、
後生を乞う間も無く腰を折られて、今日はあの世に行く定めです』
という分けでしょうか。
他方、俳句では何といっても芭蕉でしょうね。
旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる(松尾芭蕉)
『既に沢山の旅をして来た私だが、
新たな旅への渇望は尚やむことがなく、
今こうして旅の途中で病床にふせっている間にも、
夢の中で私の心は、枯れ野を駆け回っている』
それから、西鶴のこんな句も中々味があります。
浮世の月 見過しにけり 末二年(井原西鶴)
西鶴は52歳で死んだそうですが、この場合の『見すぐす』は見落とすではなくて、
『寝過ごす』や『乗り過ごす』と同様の用法でしょうね。
『人生五十年と思っていたのに、浮世の月を見物している内に、
ついうっかりして、あの世へ行くのが二年も遅れてしまった』
という分けです。
ところで、浅野内匠頭の歌には無念というか怨念がこもっていますが、
そうした恨みつらみを込めるにも、短歌は役に立ちます、
俳句では少し短過ぎるようですが……。
考えようによっては、あの歌にこめられた力こそが、
四十七人の志士を仇討ちへと突き動かしたとも言えるでしょうね。
その意味で、歌というものはすごい力を持ち得ると思います。
まあハッキリ言って、私の怨念の深さに比べれば、
『條野』さんの怨念なんてゴミみたいなもんだと思いますけど、
そうした晴らしようのない鬱憤も、短歌に作ってしまうと、
その怨念が昇華されて、気分的にスッキリするのは事実です。
ですから、皆さんにも是非、お勧めしたいと思います。
148.net219117069.t-com.ne.jp
11
:
闇夜の鮟鱇★
:2004/01/06(火) 09:15 HOST:016.net219096020.t-com.ne.jp
↑すみません、冒頭のリンク先はこっちが正解です。
http://bbs3.otd.co.jp/379419/bbs_tree?base=1801&range=1
12
:
闇夜の鮟鱇★
:2004/02/13(金) 10:20 HOST:245.net219096031.t-com.ne.jp
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_plain?base=930&range=1
930 Re:過去ログすべて読ませていただきました 闇夜の鮟鱇 2004/01/28 20:05
103.net061211181.t-com.ne.jp
>一般常識や、真・善・美などを判断するのも、
>そのような感覚が根底にあるような気がします。
実は、その件は哲学の領域では大問題なんですよね。
一体、我々が何かに真・善・美を感じる理由は何かというと、
これが簡単には答えの出ない問題のようですね。
>お二方がおっしゃるように、論理と感覚は対立する
>ものではなく、論理の根本に感覚や感情があるのかもしれませんね。
この点について言わせて頂くと、
実は論理と感情が対立するという局面は結構あると思います。
つまり、論理的には正しいと思えるんだが、
感情的には納得できないということですね。
そうした場合、その感情を論理的に突きつめて分析して行くと、
私の経験では二つの場合に別れます。
一つは『感情の方に実は根拠が無かった』と気づく場合で、
その時、その感情は自動的に消え去ります。
一つは『論理の方に根本的な見落としがあった』と気づく場合で、
その時は、論理の作り直しを強いられることになります。
その意味で、論理と感情が矛盾する時は、それを放って置かずに、
根気よく感情を分析してみることが大切なんですよね。
何か大切な問題が隠されているなら尚更ですが、
そうでなくても、それによって両者の対立は解消できるからです。
例のエイズやハンセン病の差別問題なんかも、良い例でしょうね。
13
:
闇夜の鮟鱇★
:2004/02/13(金) 10:23 HOST:245.net219096031.t-com.ne.jp
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_plain?base=935&range=1
935 Re:過去ログすべて読ませていただきました 闇夜の鮟鱇 2004/02/02 21:55
206.net219117108.t-com.ne.jp
> はっきり言って、私自身、大学の授業で学んだことよりも、
> 読書を通して学んだことの方が圧倒的に多いと感じています。
なるほどね、こういうことを言える人は大変な勉強家だろうと思います。
私も本を読むことは嫌いではないんですが、何しろ人一倍『遅読』なもので、
中々思うような時間が取れなくて、人に自慢できる程読んでないのが残念です。
ところで、前回少し言い足りなかったことを補足しておきます。
結局、常に感情分析から出発して論理を組み立てていれば、
『感情と論理の対立』なんて起こる分けがないんですよね。
しかし『おぎゃあ』と生まれた瞬間から、
自分の感情を分析して論理化できるといいんですが、
事実上そんなことが不可能なことは、言うまでもないですよね。
で結局どうするかというと、とりあえず若い内は、
他人様が作った論理(特にマスコミが書く論理)
を出発点に物事を考えざるを得ない分けです。
ところが、それはあくまで借り物の論理ですから、
実際の経験を積む中で、自分の感情と衝突する場面が出て来るんだろうと思います。
特に、実際問題として今の世の中は謀略支配で成り立ってますからね、
そうしたマスコミの論理も謀略的に歪められている面が多々ある分けです。
ですから一定の年齢に達して、自分で判断する能力が付いてきたら、
既存の論理の嘘やおかしさを考え直すことが不可欠であるような気がします。
そうやって、物事を根底から考え直す癖を付ければ、
マスコミなんかに騙される危険も最小限に減らせるでしょうね。
14
:
闇夜の鮟鱇★
:2004/03/01(月) 19:20 HOST:60.net219106195.t-com.ne.jp
★★★チャンスの女神について★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877101/bbs_plain?base=286&range=1
□ 286 New Re:僕の場合 29 Jul (Tue) 10:16 返信する
From:闇夜の鮟鱇 URL:
http://www2.tba.t-com.ne.jp/a-z/
何だ、手のこんだ広告か……。
因みに私はチャンスだの成功だのって言葉、嫌いです。
他人を蹴落として幾ばくかの小金を手に入れ、
それを『成功』と呼ぶアメリカ的な軽薄さ。
そうした価値観に何の疑問も持てずに、
ただ追随するだけの日本人も少なくないですが。
『チャンスの女神には後髪がない』なんて格言を好んで振り回すのも、
大体アメリカナイズされた軽薄な日本人に多いですね。
実際問題として、そんな奴に限って『あなただけに当たりました』
なんてインチキ商法にきっと引っかかるんです。
むしろ私は『後髪のない女神は本当のチャンスではない』
という立場です。
一つ目のチャンスは慎重に見定め、悠然と見送れば良いのです。
本当のチャンスなら必ず二度目・三度目がありますから。
160.net218219036.t-com.ne.jp
15
:
闇夜の鮟鱇★
:2004/03/01(月) 19:27 HOST:60.net219106195.t-com.ne.jp
★★★ネット上の掲示板で議論するコツについて★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容からの抜粋です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_plain?base=317&range=1
すみません、暫く雑用が忙しくて御無沙汰してしまいました。
ただ……私の主義として『自分が腹を立てている間は、書き込みしない』ということにしてます。
そうしないと不毛な感情的対立に巻き込まれるだけですから……。
これは、掲示板で議論する場合のコツとして、皆さんにも是非おすすめしたいと思います。
その意味で、腹が立つと一週間位は見ないことがざらですし、
大体、今までの私の書き込みのペースは週に一回位のものでしょ!?
あまり頻繁なやりとりは、感情的になるという以上に中身が薄くなるので、私の好みではありません。
16
:
闇夜の鮟鱇★
:2004/03/10(水) 21:49 HOST:207.net061211183.t-com.ne.jp
★★★レトリックの使い方について★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_plain?base=1008&range=1
1008 補足――レトリックの使い方について 闇夜の鮟鱇 2004/03/03 20:54
227.net061198124.t-com.ne.jp
皆さん『子ほめ』という落語を知ってますか!?
褒美をもらう為に『子供のほめ方』を教わった与太郎(だったかな!?)が、
状況も分からずに、教わった通りの言い方を繰り返すものだから、
大笑いになるんですよね。
結局ね、格言とかレトリックとか言うものは、ご存じの通り、
お互いに矛盾するものだって珍しくないんです。
言わば、それは『人間社会の一面を切り取っている』という意味で
『一面の真理』ではあるのですが、普遍的な真理とは違うんですよ。
例えば『人間はいつか死ぬ』とか『1たす1は2』とかいうのは普遍的な真理だから、
どんな場面でも無条件で通用するんですが、一面の真理というものは、
それを使う時と場合を間違えると、子ほめの与太郎と同じことになるんですよね。
『人間はみな悪魔である』というのも、そうしたレトリックの一つなんです。
ですから例えば教会の日曜ミサか何かで、それを言えば感謝されるかもしれませんが、
オーム真理教に殺された人の葬式に行って『人間みな悪魔なんですから、
麻原を責めるのはやめましょう』なんて言ったら、間違いなく張り倒されますよね。
『はてはて』さんのここの主張も、時と状況を全くわきまえていないという意味で、
子ほめの与太郎と同じレベルなんじゃないでしょうか!?
無論、一面の真理にもそれなりの価値はありますよ。
ですから例えば、麻原によるサリン・テロも、
『それが奴隷社会に対する抵抗運動であった』という側面を認められるなら、
将来は減刑や恩赦の対象に十分なり得ると私は思いますけどね。
それにしたって、一通り罪を認め裁かれて、十分反省した後の話でしょうね。
共産主義による犯罪にしても『人間みな悪魔』だからと減罪されるのは、
その罪を全て認めて裁かれた上で、十分反省することが大前提でしょうね。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板