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質問

57古沢石日:2011/07/14(木) 23:41:09
問答迷人さん

ご多忙の中いつもご丁寧なご指導ありがとうございます。

私は教学がありません。
何十年もの間唱題を重ねてきて、直感的に信心を考える事がほとんどです。
研究を重ねられ勉強を積み重ねられる方々からすれば
私の直感等は寝言戯言かもしれません。
しかしせっかくこのような巣晴らしい掲示板にめぐりあえましたので
お叱りを受けるのを覚悟で今後も質問させて頂きます事をご容赦くださいませ。


妙法蓮華経を、何の迷いも無く、生命ある間保ち続けることが出来る信者なら、
意識の中にある御本尊(目の前に常に正しく御本尊を想い浮かべる事が出来る)と
実際にご安置した書写(印刷)ご本尊に差異が無い様に思えます。
そもそも大聖人様が御本尊を御図顕されたのは、しっかりとした対象がないと
信弱き者はいろんな物にお題目をあげてしまわないようにではないでしょうか。
他宗の曼荼羅は言うまでも無く、他には身近の木仏・石仏とか、動物だとか爬虫類だとか。


思いますにお曼荼羅は地図であり扉であり楽譜である。
お題目は地図を読み心を目標へ運ぶためにあったり
扉を開ける鍵でもあったり楽譜に書かれた最高のメロディを
奏でる(声なのか楽器なのか)物なのではないでしょうか。

扉の位置をしっかり把握している者、地図が無くとも目的地をしっかり
理解している者、楽譜を完璧に頭に記憶できている者には

つまり御本尊をいつも目の前に御安置出来ている人物には
お曼荼羅は無くてもよいのではないでしょうか。

そもそも紙に書かれたという事は、お手紙お手本なのでは。
記してあげたから一生懸命信仰して心に刻みなさいとおっしゃっていらっしゃったのだと。
御図顕して頂いたお弟子の中には、ご立派な家屋をお持ちの方ばかりではなかったはずです。
紙に顕されたお曼荼羅を、雨や嵐や風や火事や物取りが多発する時代の中、
代々の子孫まで信仰の対象として保つのには難しいです。

一刻も早く生命に刻みなさい。そう思われていたのではないでしょうか。


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