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質問

54問答迷人:2011/07/13(水) 14:38:32

追加です。

日蓮聖人は必ずしも筆で書け、とは仰せではありません。また、仏像を立てても良いと述べられているわけですから、印刷も基本的には問題にならないと僕は思います。

ただ、日蓮聖人の真筆曼荼羅を型木に彫って、印刷することに対しては、日興上人が戒められた御文が残っていますが、これは、真筆曼荼羅を木に張って彫ってしまう事を嫌われた側面も有ったのではなかろうかと僕は考えています。どこまでも、真蹟遺文、真筆曼荼羅を後世に残されようとされた日興上人ですから、当然のご配慮かと思います。

今日に於いて、印刷した曼荼羅を法主が開眼して信徒に授与されていますが、曼荼羅自体が本来、諸仏の眼たる妙法蓮華経の五字を認めたものなのに、果たして、諸仏の眼が題目として認められているのに、どうやってさらに開眼するのかなぁ、と思ってしまいます。まぁ、開眼と称して、印刷の曼荼羅を配布することへの言い訳を日蓮聖人の申し上げるのではないかなぁ、等と考えています。例えば、『眼の書かれていないダルマさんに筆で眼を入れる事を開眼』と言うのが、『開眼』の普通の意味合いであると思います。諸仏の眼たる妙法蓮華経の五字をさらに開眼するというのは、全く変てこな話だと思われませんか。

>全信者の手元に御本尊をとお考えになっておられたのでしょうか

これは、物理的に考えて、無理だと思います。中心拠点の為に曼荼羅を授与されるので、精一杯ではないかと思います。ですから、本尊が無くてもお題目を唱えればその功徳は一緒だと教えるか、「各自で曼荼羅を書いて本尊とせよ」と言うか、あるいは、今日的に「印刷した曼荼羅を本尊として配布する」か、何れかの方法によるしかないと思います。信徒が本尊欲しさに勝手に怪しげな曼荼羅を書いてしまうのを防ぐという意味では、印刷本尊の配布がベターではなかろうかと考えます。


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