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52
:
問答迷人
:2011/07/13(水) 13:27:20
本尊について
日蓮聖人の十大部である「唱法華題目抄」には、御真筆曼荼羅の原型とおぼしき記述があります。『問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、』(日興写本)
『本尊は題目、その題目の左右に釈迦仏と多宝仏を書き、さらに十方の諸仏普賢菩薩等を書いてもよい。又、釈迦多宝十方諸仏普賢菩薩等は仏像として造立して題目の左右に立ててもよい』
まぁ、こんなところでしょうか。
一つ一つ検証します。
先ず、仏像を立てることを全然否定されていない事。謗法等と言う御考えは微塵も読み取れません。
本尊は題目を書いて本尊とせよ、とあるのみです。法主が書いたものでなければならないとか、日蓮聖人が書いたものにだけ利益があるとか、そういう事は全く想定外だと思います。法華経の題目を書いて本尊とせよ、これが日蓮聖人の基本的お考えと思われます。
後に、日蓮聖人は曼荼羅を認められて、本尊とするように弟子檀那に授与されましたが、この御文からすれば、各自が題目を書いて本尊とすれば良いのだけれども、日蓮聖人が代わりに書いて上げた、と言った風情にも取れます。
やはり、真筆曼荼羅に拘る意味合いは何もないのではないでしょうか。御書は偽書との峻別が不可欠ですが、題目は誰が書いても題目に違いはないのではありませんか。
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