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49
:
問答迷人
:2011/07/12(火) 06:47:06
古沢石日さん
受持・読・誦・解説・書写の五種の修行が法華経には説かれています。この中で、「書写」は文字経典が出来上がった時に付け加えられたのだと思います。その一番の意義は、令法久住なんだと思います。
今日、印刷技術が発明されて、それが高度に発達しています。さらに、今後を考えれば、電子書籍の全盛期に入ってゆくのはほぼ間違いのないことだと思います。早晩、新聞紙に印刷された所謂「新聞」は姿を消すことになると思います。
このような技術革新の中で、令法久住はどうあるべきかを考えることが「書写」を考える上で重要なんだと思います。
書写の今日的意義は、恐らくは、正確性ではないかと僕は考えています。日蓮聖人も法華経の六訳三存の中から、鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経二十八品」を最も原型に近いものとして採用されています。
恐らくは経典研究は更に進み、印度で制作された当初の法華経が更に解明されてゆくことだと思います。
日蓮聖人の御書にしても、創価学会版の御書全集が発刊された意義は、本当に素晴らしいものがありますが、今日的には、日蓮聖人の著作でない、後世の偽書が真蹟と同等に扱われている事等、様々な問題点が指摘されています。宗派や団体の都合に影響されずに、「真蹟遺文」と、「偽書」を峻別し、真蹟は残ってはいないものの、文体や内容から、「真蹟遺文と同等に考えてもよいもの」、明らかに後世の作であり、「日蓮聖人の著作とは言えないもの」を明確にして編集された御書全集の発刊が待たれるところです。そして、それは更にその後の研究によって、補正されてゆくべきものと考えます。そうした、日蓮聖人の遺文に対する真摯な態度こそ、令法久住の意義に叶うのだと考えています。
大量消費時代の現代、こうした努力の積み重ねこそが、真に日蓮遺文を大切にすることだと思います。読者が、そういう見識を持ったとき、編集者や出版社はいずれ、そうした読者の要請に従うものと考えます。
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