したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

質問

1管理者:2009/02/07(土) 20:42:27

新しいスレッドの提案が有りましたので立ち上げます。提案文は以下の通りです。


「質問」
日蓮、仏教、宗派の教義、歴史などの質問。検索すれば直ぐにわかることを除く。

257フランコ:2011/12/24(土) 11:31:43
>255 質問者さんへ
はじめまして、フランコと申します。
詳しい者ではないですが、55年6月21日書写の
御形木を御安置しているので、レスしてみました。

私もずいぶん以前に質問者さんと同じ疑問を持って
質問したことがあるのですが、誰に教えてもらったのか
失念してしまいましたけど、単なる省略で特段の意味はない、との
答えでした。あえて言うなら御書写された時の日顕上人のご気分が
そんな感じだったのかと。

55年6月頃といえば、宗門、学会、正信会といろいろもめていた時期ですね。

258彰往考来:2011/12/31(土) 13:10:51

>255 質問者さん

御本尊で天台と伝教のみがお出ましになるのを二師勧請、天台と伝教に加えさらに竜樹と妙楽の四師がお出ましになるのを四師勧請といいます。さらに章安と天親もお出ましになるのを六師勧請といいます。六師勧請の御本尊は日興上人の御本尊に多いですが日蓮聖人の御真筆御本尊では公開されている127幅中2幅のみです。但し、松本佐一郎師が「十界の列衆ばかりに気をとられて肝心の中尊研究が閑却されているようだ。これでは妙曼(注:妙本曼荼羅の略)研究にならない。」(『富士門徒の沿革と教義』昭和54年復刻、大成出版社、273頁)と指摘しているように二師勧請であるか四師勧請であるかを議論するのは枝葉のことで二師勧請の御本尊も四師勧請の御本尊も本尊としての違いはないといえます。
これにて回答終わりとするのではあんまりなので、ここではあえてその枝葉の議論に踏み込みます。
まず「通常は四師とされている」という貴殿のご意見ですがなにを持って「通常は」とされているのでしょうか。
柳沢宏道師の『石山本尊の研究』(平成9年、はちす文庫)によれば日顕師の御書写された御形木御本尊はお守御本尊と導師本尊を除き三種類確認されています。昭和五十三年十月十月十三日御書写(二師勧請)、昭和五十五年六月二十一日御書写(二師勧請)、昭和六十年三月吉日書写(四師勧請)の三種類です。また日達師が昭和四十一年一月一日御書写された御本尊は二師勧請です。従いまして「通常は四師勧請」ということではありません。

259彰往考来:2011/12/31(土) 13:11:34

昭和五十三年の御形木御本尊の相貌は、日達師が昭和四十一年一月一日御書写された御本尊(二師勧請)と相貌はほとんど同じで違いは日顕師の御本尊は南無迦葉尊者が南無大迦葉尊者となっていること、天台と伝教に南無字を付せられたこと、南無彌勒菩薩の勧請があること(日達師の御本尊にはお出ましにならない)という点です。日顕師の御本尊の相貌がほぼ日達師の御本尊と同じで二師勧請であることから、日顕師は日達師の法灯を引き継いでいるということを表しているのではないかと考えますが真意は測り難く私見の域を出ません。なおこの変更点は帝釈天王を除き、弘安二年の戒壇御本尊がそのような諸尊勧請となっているためではないかと愚考しています。なお、戒壇御本尊では帝釈天王は釈提桓因大王としてお出ましになっており、四師勧請です。
昭和五十五年六月二十一日書写の御本尊ではその帝釈天王が釈提桓因大王となっており、やはり戒壇御本尊の勧請名に合わされたと考えますが二師勧請のままであり真意は不明です。
昭和六十年三月吉日書写の御本尊では二師勧請を四師勧請とし、釈提桓因大王を帝釈天王に戻されています。これも真意は不明ですが、日顕師の三種類の御形木御本尊で戒壇御本尊と全く諸尊勧請が一致するものはないということになります。もっともこれら書写御本尊は全て「二千二百三十余年」となっており、戒壇御本尊のみ「二千二百二十余年」となっているところに元々の相違点がありますし、歴代の御本尊で戒壇御本尊と相貌が全同の御本尊は管見の限りでは拝見したことはありません。
参考までに、昭和六十年三月吉日書写の御本尊は日顕師のご尊父である日開師の御本尊(『日蓮大聖人御書新集』の口絵掲載のもの)や日昇師による創価学会本部安置の御本尊などと相貌が一致しており、何か意味のあることなのでしょう。その時の気分というようなものではないと思います。御本尊の御書写はお習字のお手本のように手元に原本があるという状態ではないでしょうから、細かい諸尊に違いがあるのは当然ともいえます。

なお、柳沢宏道師の『石山本尊の研究』(平成9年、はちす文庫)はインターネットで公開されています。ご興味がおありでしたらご自分で勉強されることをお勧めします。

http://hachisubunko.jimdo.com/はちす文庫の出版物/

by 彰往考来

260一跡門徒不存知の事:2012/04/13(金) 04:58:39
宗祖がお亡くなりになる少し前に六老僧を定めた事は日興上人筆による御遷化記録にありますが、又、浄土真宗の親鸞にも六人の高弟がいるようですが、この「六老僧を定める」という決めごとは、どこから来ているのでしょうか。何か仏教の慣習に習ったものなのでしょうか。それとも宗祖御自身の全く新しい考えから六老僧を定めたのでしょうか?

ネットで検索してもどこにも答えが見つからなかった為こちらで質問した次第です。どなたか御存知の方がいましたら教示頂けますでしょうか?
宜しくお願い致します。

261テスト:2012/08/02(木) 10:28:36
お釈迦様が亡くなったあとに高弟たちが集まって
法の付属を考えたという故事に基づくのではないですか。
涅槃経あたりにその手の話があったような。

さて、震災以来ご無沙汰しております。このごろ電子書籍なるものが
巷で流行っております。
御書や法華経など仏典の電子テキストの所在を探しているのですが
一向にみつかりませぬ。
有料でもないというのは、なんだかなあ。
諸教団や学者どもは商売する気ないのでしょうか・・・
池田先生の電子本はいっぱいあるんだなこれがw

もっと原典を大切にして欲しいなって思う次第

262サライニコ:2012/10/12(金) 22:37:06
こんばんは!大石寺について質問します。現在の大石寺は富士宮市に在りますが日興上人が建立した大石寺は富士市に在ったというのは本当なのでしょうか?日興上人が建立した大石寺は廃寺に追い込まれて大石寺という名前だけが使われ富士宮市に建てられたという事をどこかで読んだので調べる術もなくこちらで質問致しました。宜しくお願いします。

263サライニコ:2012/10/12(金) 22:39:26
訂正

読んだので=×

読んだのですが=○

264;:2013/03/08(金) 10:15:50
ロリ画像掲示板

http://d4u88bqk.seesaa.net/

265:2013/03/11(月) 19:37:45
美少女エロ画像

http://tutlyuyhk.blog.fc2.com/


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板