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質問
189
:
独学徒
:2011/08/13(土) 13:29:36
古沢石日さん、
曼荼羅を不敬などしませんよ。そんなことをする必要性が無いからです。
「謗法」について日蓮聖人の解釈を否定しても、それが曼荼羅の不敬につなげる必要性など無いでしょう。
両極端な発想は正邪の二法で全てを判別する教団独特の特性だと思いますが、その両極端な発想そのものを捨てた以上、破綻した教義の宗派の曼荼羅であっても大切に扱って何の問題があるでしょうか。
日蓮宗の貫首上人より賜わった御本尊は、貫首上人の御遷化後、板曼荼羅として彫刻し紙幅の御本尊はお巻きして大切に保管しています。
今でも題目も唱えます。
他宗の修行を実践するから唱題はできないなどということも無いと思っています。
そのような縛りを一切廃しても、日蓮宗や天台宗のお寺はお付き合い下さっています。
創価学会では組織としても、教義的にも認めてくれないでしょうが、自由な世界はいくらでもあります。
「謗法」などという言葉に脅えていては、神社のお参りもできません。
破綻している宗教でも自分がいいと思えば続ければいいことで、特定の宗教だけを他者に押し付ける事が無ければ自由なのがこの国ですから。
美術品的扱いといわれるかもしれませんが、大石寺や要法寺、北山、西山などの富士門流歴代貫首の書写した直筆御本尊も30幅以上ありますが、どれも大切に保管しているつもりです。
いつか金銭的に余裕ができれば、表装を直したいとも思っています。
181に述べたとおり、宗教に正邪など無いと思います。
どの教団も大なり小なりの矛盾や破綻はあります。
だから特定宗教の教義に縛られすぎることは、私的には価値的とは思えなくなりました。
題目も念仏も、真言も座禅も、神社参詣も自由に取り組ませていただきます。
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