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181
:
独学徒
:2011/08/13(土) 10:57:36
古沢石日さん、
匿名さんの仰るとおり、既に述べたとおり日蓮聖人の言説といえども、一期の弘通の中において変化変化の連続で、初期讃嘆した人物を後年誹謗したりといった矛盾を露呈しています。
日蓮聖人は、御本仏でもなければ大菩薩でもない、本山の貫首でもなければ末寺の住職ですらなかったわけです。
研鑚の途上で御主張がコロコロ変わり、修行法も一様ではありません。よって、現在の日蓮門下の修行法がこれほど混乱しているのです。
そのような日蓮聖人の言説に縛られること無く、行学に励むことは別段問題ありとは思えません。
そもそも大石寺側から見れば創価学会は大謗法団体、創価学会から見れば大石寺は大謗法団体、それぞれの組織の都合で「謗法」のレッテルを貼っているだけですね。
「謗法」の概念など現代的にはその程度、信者を縛っておきたいからつかう上等文句に過ぎません。
そのような二文字に何を恐れる必要があるのかと私は思います。
真言宗でも浄土宗でも禅宗でも、大石寺でも創価学会でも幸せな人は幸せ、不幸な人は不幸、宗教に正邪など無く、どの宗教でも取り組む人の心の持ちようでしょう。
日蓮聖人の判別は必ずしも正しくありませんでした。
よって現代に再検討し、宗教観の争いがいかに無意味なことか証明することの方がはるかに尊いと思えます。
既に日蓮宗では機関紙「日蓮宗新聞」紙上にて、法華経が後世創作の経典であることを認めています。
創価学会関係でも、創価大学や東哲研では常識としてとらえているでしょう。
天台大師は法華経が創作である事に気付かないまでも、法華経の真偽に関係なく実践可能な止観(座禅)行を「摩訶止観」として講説し後世に残しました。
日蓮聖人の唱題行は、法華経が後世の創作であり、加えて鳩摩羅什訳が梵品を私訳している以上、残念ながら完全に破綻しています。
その破綻した日蓮聖人の御主張をもとに、他宗の修行法を「謗法」などと謗ることほど愚かな行為は無いと思います。
もし他宗の修行法を批判するなら、自ら実践しその上で効験の有無を論ずるしかないでしょう。
これが現代という、一つの仮城にたどり着いた一日蓮門下の小結です。
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