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質問
165
:
問答迷人
:2011/08/09(火) 19:19:03
古沢石日さん
>初心の功徳ということでしょうか
四信五品抄で、日蓮聖人は次のように述べておられます。
『答ふ 小兒乳を含むに其の味を知らざれども、自然に身を益す。耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。水心無けれども火を消し、火物を焼くに豈に覚り有らんや。龍樹・天台皆此の意なり。重ねて示すべし。問ふ 何が故ぞ題目に万法を含むや。答ふ 章安の云く「蓋し序王とは経の玄意を叙す。玄意は文心を述す。文心は本迹に過ぎたるは莫し」妙楽云く「法華の文心を出だして諸経の所以を弁ず」云云。濁水心無けれども月自ら清めり。草木雨を得て豈に覚り有りて花さくならんや。妙法蓮華経の五字は経文に非ず、其の義に非ず、唯一部の意耳。初心の行者其の心を知らざれども、而も之を行ずるに自然に意に当る也。』
つまりは、南無妙法蓮華経のお題目は、法華経二十八品の極意なので、その謂れを知らなくても、自然に法華経の極意に達するのだ、と。
この日蓮聖人の御主張は一貫していますね。題目の五字が何かを表現しているのではなく、妙法蓮華経の五字それ自体が法華経が表現しようとした、仏の悟りそのものである、と。
ただ、日興上人の有名な遺戒置文には、「論議講説等を好み自余を交ゆ可からざる事」或いは「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して」等と議論や教学の大切さを遺言として戒めておられます。当然、その当時は、対象は僧侶な訳ですが、無教会信徒は、自ら僧侶の役目も兼ねなければなりませんから、この遺戒は心に刻むべきだと思っています。
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