[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
質問
162
:
問答迷人
:2011/08/08(月) 21:56:55
>どうして熱原の三烈士には、諸天の加護が無かったのでしょうか
上野殿御返事(弘安二年十一月六日)に、次のように日蓮聖人は述べられています。
「仏になるみちこれにをとるべからず。いをの龍門をのぼり、地下の者のてんじやうへまいるがごとし。身子と申せし人は仏にならむとて六十劫が間、菩薩の行をみてしかども、こらへかねて二乗の道に入りにき。大通結縁の者は三千塵点劫、久遠下種の人の五百塵点劫、生死にしづみし。此れ等は法華経を行ぜし程に第六天の魔王、国主等の身に入りてかうわづらわせしかば、たい(退)してすてしゆへに、そこばくの劫に六道にはめぐりしぞかし。かれは人の上とこそみしかども、今は我等がみ(身)にかかれり。願はくは我が弟子等、大願ををこせ。去年去々年のやくびやうに死にし人々のかずにも入らず。又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず。とにかくに死は一定なり。其の時のなげきはたうじ(当時)のごとし。をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ。つゆを大海にあつらへ、ちりを大地にうづむとをもへ。法華経の第三に云く「願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん」云云。恐々謹言。
十一月六日 日蓮花押 上野賢人殿 御返事
此れはあつわら(熱原)の事のありがたさに申す御返事なり。」
三烈士は殺されるのを覚悟して、殉教の道を選んだ訳です。日蓮聖人は、一度は死ぬ命なのだから「をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ」と述べられて、彼らの殉教の姿を愛でられています。「此れはあつわら(熱原)の事のありがたさに申す御返事なり。」と。
>これを実践するなら、教学が不要
これでは又、もう一つの極端に陥ってしまうと思います。当時の識字率は極めて低かったと思います。僧侶や武士階級は文献を読んで教学を学ぶことが出来ます。その人たちの為に、日蓮聖人は、多数の御書を送られ、法門を教えられています。教学が必要ないとお考えであれば、法門を弟子檀那に教えようとはされなかったと思います。いかし、信徒の中には、文字を知らず、日蓮聖人のお手紙を見ても読めない方が多数おられたと思います。また、少しは文字は読めても、法門の道理を理解するまでは難しかった方も多数おられたと思います。日蓮聖人はそのような人に対しては、何も知らなくても良い、ひたすらに南無妙法蓮華経と唱えよ、と教えられ、武士階級の信徒には、教学を教え、揺るがない信仰を確立するようにご配慮されたと思います。
現代に生きる僕たちは、瞬時にして、日蓮聖人の御書を読み、理解することが出来ます。あらゆる疑問を次々と乗り越えて、赤子が乳を飲むような純粋無垢な心でお題目を唱える事が出来れば、それが一番良いと思います。今日は多忙につき、御書の引用は、明日以降にさせてください。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板