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質問

151古沢石日:2011/08/07(日) 15:42:51
それに対して
>功徳が現れないと言う不自然な現象

お題目を唱えていないからではないでしょうか。
本人は題目だと思っているが、題目ではない。
だから功徳が現れないのではないでしょうか。

という意見があり
「南無妙法蓮華経」とはお題目の事になります。
お題目とはそもそもタイトルのことを意味しますから
一念によって、その内容は如何様にも変化するものだと思われます。
このお題目を通じ、仏に念じれば功徳が得られるものとして唱えれば
それはお題目は念仏となり、念仏となってしまったお題目は、やがて無間地獄を願うお題目となるでしょう。
何故、念仏を唱えると無間地獄となるかは、念仏の特性である捨閉閣抛から
怨嫉誹謗の言葉が発せられるようになるからともいえます。
功徳を感じられなくなった人には、この怨嫉誹謗に心当たりがあるのではないかと思います。
加えて、お題目を真理の言葉と捉え唱えると、そのお題目は真言となります。
こちらは念仏とは違い功徳を感じる事が出来ます。
しかし、今度はこの当たり前の現象である功徳に対して執着し
いつでも功徳、功徳と欲する乞食信心となるでしょう。
乞食信心では功徳におぼれる事になり、それが尽きる時に人は離れてしまい、やがては亡国の道を辿ると言えます。
ですからあまり功徳、功徳と当たり前のことに一喜一憂するのではなく
本物の信心とは何かと言う事を考えていきたいものです。

という答えがありまして


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