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質問
132
:
問答迷人
:2011/08/01(月) 16:59:14
古沢石日さん
>造仏を禁したのは日興上人独自のお考えなのでしょうか
身延離山(正応二年一月)の少し前に書かれた、有名な「原殿御返事」(正応元年十二月十六日)には、次のようにあります。
「身延沢を罷り出で候事面目なさ本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し打ち還し案じ候えばいずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ、詮にて候え。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ、日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁に相当つて覚え候えば、本意忘るること無くて候。」
「日興一人本師の正義を存じて」とありますから、この文面からはそのようにも取れます。この文の前に、造仏について述べられた個所があります。
「日興が申す様には、せめて故聖人安置の仏にて候わさばさも候いなん。それも其の仏は上行等の脇士も無く始成の仏に候いき、其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ、なにのほしなさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給うべき。御力契い給わずば、御子孫の御中に作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし。」
この文面からは、強ちに造仏を否定されている訳でなく、『四菩薩の脇士が無いと久遠の仏にならないから造っては駄目だ』と仰せの様に取れます。これは、唱法華題目抄において、日蓮聖人が示された本尊の有り方とは、少し違っていますね。
「本尊は法華経八巻・一巻・一品、或は題目を書きて本尊と定むべしと、法師(ほっし)品並びに神力品に見えたり。又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書きても造りても法華経の左右に之を立て奉るべし。又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし。」(唱法華題目抄)
この唱法華題目抄は日興上人の写本が現存するわけですから、日興上人は、この日蓮聖人の本尊についての教えを良くご存知な訳で、その上で、四菩薩を添えた釈尊像ならば、本尊としても良い、と言う見解を持って居られた訳で、この点については、日興上人の独自見解と言えると思います。但し、結論として「御子孫の御中に作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし。」と述べられ、日蓮聖人の曼荼羅を安置しなさい、と指導された訳ですから、結果的に造仏禁止の様な流れがそれ以降の富士門に色濃くなっていったのだろうと思われます。
>日興上人の禁を破り17世が造仏をした
日興上人が禁止されたのは、一体仏を造って本尊として安置する事ですから、どのような造仏を日精上人が行ったのか、が問題になりますね。宗門攻撃の詳細内容をご存知ありませんか。それを見てみないと何とも言えないのではありませんか。
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