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四箇格言の功罪について

1問答迷人:2009/01/25(日) 21:56:05

新しいスレッドテーマの提案が有りましたので、活発な議論を期待して立ち上げます。

提案文は以下の通り。

こんばんは。
そううそです。

「四箇格言の功罪について」のタイトルで議論を進めて頂けないでしょうか?

現代人が納得できる日蓮教学 - 富士門流信徒の掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/

某所で学会員と思われる人と議論した時に当然のように他宗批判を行い、
その根拠として他力本願を取り上げていました。本来の他力本願の意味も
よく分かっていないようでした。他力本願自体はこちらのBBSの主旨から
外れますのでせめて、日蓮の四箇格言がどんなものか書かれていると良いと考えます。
折伏思想と絡んでいると思いますが、根拠となる経文や仏教的な思想なのか?
現代に通用するかどうか?

創価学会などの正宗信徒が四箇格言を持ち出し他宗を批判、あるいは
非難し、誹謗中傷する。地獄に堕ちるなどの脅迫を行うのは問題だと思います。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/485
>この問題は日蓮系では既成宗派も例外でない。
>なぜなら「四箇格言問題」が解決していないからです。

御願いばかりで申し訳ありませんが、富士門BBSの皆さんが色々と議論すると
見えてくる物があると考えます。

10たけぞう:2009/01/29(木) 16:15:47
>日蓮宗の実質教義といいますのは、脅迫、奇跡、利益ということになりますね。
すごいことを言いますね。

海外のSGIでは違うようです。
松戸さんの本を読むと、ヨーロッパでは、キリスト教の原罪という呪縛から放れて、宿命転換ということに憧れて入会するそうです。
原罪ですと、この世は諦めるしかありませんから、成る程と思うところあります。
ただ、御書には現世での宿命転換は出てこなくて、後生善処です。
宿命転換は学会教学だと思いますが。
と言いながら、私自身は宿命転換したという実感はあります。

11いちりん:2009/01/29(木) 16:38:38
>日蓮信仰は「現世利益」以前にまず祖師の数々の奇跡奇瑞の伝説として普及し、

日蓮宗の信徒の方と話をしたとき「おそっさま」「おそさま」という言葉をよく聞きますね。
はじめて聞いたとき、
──おそさま? はて、それってなんだろう……。
いったいそれは何者なのか。いぶかしく思いました。
で、話を聞いていると、分かってきました。
──ああ、お祖師さまってことか……。それは、日蓮のことを指しているんだな、と。

日蓮に対する尊敬と恋慕の心は、とても強いものがある。
奇跡を現ずるようなすごい力がある、難に遭ってもくじけない不屈の心がある、弟子や両親思いの人情家である、と。
彼らの日蓮に対するありような、創価や正宗系の人たちのありようとは、すこしちがうんだなと感じました。

ある方に、健康のために玄米がいいよと勧めたことがありましたが、その方が言うには
「お祖師さまに玄米を差し上げるわけにはいかないじゃない」と言われました。
そこには、お水や仏飯を捧げるときでも、日蓮という「生きておわした方」に給仕するような心を感じました。

創価や正宗系の人たちは、「生きておわした日蓮」という存在以上に、なにしろ「本仏」というとらえかたになりますよね。
「本仏」というと、理念的には、まあこれ以上の究極のものはないのかもしれません。
とうぜん神さまよりも偉い。あらゆりる聖者よりもえらい。お釈迦さんよりも偉い。菩薩よりも偉い。
まあ大宇宙の究極存在、あるいすはべてを支配している源泉みたいなところまでいってしまう。

そうすると、まあ給仕するなんてことじゃあなくて、なにか「畏れ多い存在」に近いのかもしれません。


>日蓮宗の実質教義といいますのは、脅迫、奇跡、利益ということになりますね。

なるほど、そうかもしれません。
まあしかし、あらゆる宗教というものは、そういうありように近いですね。

畏れ多い、恐ろしい。
力があるから、大切にしないと、怖い目に遭う。
力があるだけに、ちゃんと祈ったりお願いすれば、ちゃんと利益を下さる。

12顕正居士:2009/01/29(木) 17:41:51
日蓮宗の祖師信仰は弘法大師の信仰に似ています。数々の奇跡、奇瑞を起こした空海は
内証は大日如来と同等の仏であると。しかしどの宗でも誰々の本地は何々菩薩といっても
それが教義にはなっていません。上行菩薩は涌出品以外にエピソードはありませんが、
敢えて涅槃に入らない大悲菩薩のいちばん古参になりますから内証は久遠本仏と同等です。
教義としてそこまで開祖を持ち上げた宗派はありません。

大石寺の宗祖本仏論は釈尊が初めて発心した、つまりレベル1の菩薩だった時を本仏といい、
それがそのまま史実の日蓮だとするので、祖師を単に高遠なところに祭り上げるのとは
本来は違うのですが、今の日蓮正宗や創価学会ではいちりんさんのおっしゃる感じですね。

13たけぞう:2009/01/29(木) 17:59:52
私はアンチ学会でもないし、退転者でもない、誇りをもったペーパー学会員です。当然お墓も創価学会です。

創価学会内部では、日蓮聖人のことを大聖人と呼びますが、傍目で見るより尊敬・畏敬していないのではないでしょうか。
それよりか、池田先生崇拝と、御本尊様第一ですよ。
功徳が出たって、大聖人という言葉は出ず、御本尊様のおかげという表現になりますからね。
そういう意味では偶像崇拝なんでしょうね。
私は、日蓮宗というより新興宗教というように捉えています。
戸田先生の時の戸田思想の創価学会、そして池田先生の池田思想の創価学会。
創価学会という器は変わらないけど、内容は相当変わりましたものね。

14いちりん:2009/01/29(木) 21:35:03
「内証は御本仏だから」「示同凡夫として……」と、
日蓮という人を「本仏」として祭り上げてしまうことで、おなじ人間として共感していくことがなくなるのかもしれませんね。
人間としてとらえたら、ときに間違うかもしれない、行き過ぎもあるかもしれない、自分たちと同じような迷いや悩みがあったかもしれない。
──そうとらえることで、かえって日蓮に学ぼうという気持ちは、起こるのかもしれないですね。

最近の創価学会からは、「日蓮本仏論」という主張は、あまり聞かれないようですね。
聖教新聞を見ると、池田さんを、褒め称えることばかり。そして、敵対者を罵ることばかりで。

日蓮主義は「自讃毀他の宗風」という話が出ていましたが、ほとんにそのとおりだなあと感じます。

15たけぞう:2009/01/30(金) 12:54:36
>日蓮主義は「自讃毀他の宗風」という話が出ていましたが、ほとんにそのとおりだなあと感じます。
日目上人の相承争いもあったし、大石寺の相承争いというものは何度もあったようですね。
それに日蓮宗と正宗との争い。
「自讃毀他の宗風」というのは、結局は日蓮聖人の性格がそのまま表れているというしかないですね。
御書を拝読しても、殆ど他宗批判ですもの。
そして、そのまま信仰していると地獄に行くぞですから、御書を現代風に読むというのは無理ではないでしょうか。
四箇格言は13世紀の常識ということで、現代には通用しないというしかないでしょう。
と言いながら、狐信仰とか鬼子母神信仰というのはやはり邪宗だと感じてしまうのです。

ところで、日蓮仏法から、四箇格言と本覚思想を除いたら何が残るんでしょう。
曼荼羅御本尊と唱題だけが残ります。

南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、
信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす、(日女御前御返事 学会判1244)

結局は、「信」と、「南無妙法蓮華経」につきるようです。
私自身の体験もやはり同じ結論です。
チョコチョコっと唱題して願いが叶う、そんな現世利益ではないと思うのです。
進退極まり、なすすべがない、後は生か死か、そういった背水の陣で、祈って、祈って、祈りきる。
ここに、「信」と、「南無妙法蓮華経」の出番があるようです。
私は、50年の信仰生活の中で3回経験しました。
最初は高校生の時に父親の事業が倒産した時、次は司法書士の試験で30歳になって、これで合格しなければ人生やり直しという時、最後は57歳で、事務所経営やら、なんだかんだのストレスで精神異常になり、自殺願望と他殺願望とパニック障害で、精神病院に入退院し事務所閉鎖に追い込まれた時。
南無とは帰命なり、帰命とは自己否定。何の兵法より法華経の兵法を用いたもうべし。
確かに、進退極まった時、身を御本尊に投げ打って唱題しかないんですよね。
こうした体験から、信仰と唱題は私の人生から切り離すことが出来ないのです。
やはり、題目を唱えきって、願い、祈り、難を乗り越える、そして必ず解決出来るという確信、これが日蓮仏法の核心ではないでしょうか。
そうした生き方を念仏や禅に求められるでしょうか。
インテリには歎異抄が人気ありますが、人生の大きな壁にぶつかった時に歎異抄は役立つのでしょうか。
また、日蓮宗は天台宗の延長戦上にありますが、やはり大きな壁にぶつかった時に、摩訶止観は役立つのでしょうか。
観念でいくと四箇格言は否定せざるをえませんが、人生を生きていく上では南無妙法蓮華経しかないというのは私の実感です。

16たけぞう:2009/01/30(金) 15:07:17
そううそさんへ
>日蓮の四箇格言・・・・根拠となる経文や仏教的な思想なのか?
>創価学会などの正宗信徒が四箇格言を持ち出し他宗を批判、あるいは非難し、誹謗中傷する。
>地獄に堕ちるなどの脅迫を行うのは問題だと思います。

四十余年未顕真実、これが四箇格言の始まりですよね。
これ以上立派な経文や仏教思想はないんじゃないですか。
四箇格言により、他宗を批判し、そして地獄に行くという主張は日蓮聖人のライフワークですよね。
顕謗法抄(学会443)を読んでください。
これでもかという程、地獄の説明がされています。

そううそ(創価学会の嘘)さんの文章を読むと、他宗批判と仏罰が創価学会の思想のように聞こえます。

信仰ですから、四十余年未顕真実・四箇格言も一度は自分の中に取り込み、そして南無妙法蓮華経を色読してから、日蓮聖人の思想を否定する。
否定した後に、再度御書を読み始めると日蓮聖人の思想に目覚めます。
私は、人生の礎として日蓮聖人の思想を位置つけています。
創価学会の嘘というのは、どういう人生観なのでしょうか。
そううそさんは、何をしたいのか、何を主張したいのか教えてください。

17たけぞう:2009/01/30(金) 15:42:57
日蓮聖人の思想を教条的に解釈すれば、百年に一度の大不況は諸天善神がいなくなったことであり、日本においては他国侵逼の難ということで、北朝鮮や中国が攻めてくるということになります。
一方、阪神淡路大地震移行の大地震は、地涌の菩薩の出現の瑞相となります。

このように、宗教というものは教条的に解釈すると、とんでもないことになります。
この掲示板は文証を大事にしますが、文証を教条的に解釈するということとは別問題です。

信仰ですから、まず第一に信がきますが、なんでもかんでも思考停止して信じていいものか。
組織の言っていることを全て正しいと理解していいものか。
そもそも、宗教に教団・組織というものが必要なのか。

人間に帰属意識がある以上、どうしても教団というのが発生してしまいます。
そして、教団は権威を持ちます。
その教団の権威主義に反し、孤独に信仰する人は退転者というレッテルを貼られます。
そうした、社会的レッテルや批判を恐れず、孤独に信仰することで、教条主義を廃すると思います。

我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり

四箇格言を考えるうちに、こんなことを考えていました。

創価学会や日蓮正宗に所属して疑問を抱えている人、あなたは一人じゃない、法華難民は沢山います。
気楽に投稿してください。

18hage:2009/01/30(金) 22:05:40
次の文章があちらこちらの掲示板に貼られているようなのですが、どうなんでしょうか?

A.無疑 という意味は疑いのない状態を言います。
      この無疑の状態に至るまでは、さまざまな疑問を経て、疑問を乗り越え解明
      する経緯・体験が当然あり得ます。そういう経緯をへて到達した境智を無疑と
      いいます。その無疑の状態を「信」といえるし、そうして御本尊のことを信じれ
      るようになることを信といえる。これが信仰の境地といえます。
      したがって疑ったり、疑問解明の行為は、否定する必要はないということです。

B.不疑 よく指導として言われる「疑っていては罰が当たる。先生や御本尊を疑問
      に思ってはいけません」というのは、間違い。それでは、不疑日信になって
      しまい、無疑の境地にまで至りません。人間さまざまな思い、体験を通して
      無疑の状態に至ります。>>87のような洗脳されてMC状態になりやすいのも
      不疑日信で教育されて非人間的になった結果と言えます。早くこういう指導
      で、人間性を失う状況を脱することが必要です。

19hage:2009/01/30(金) 22:14:52
>>10 たけぞうさんへ
「宿命転換」という言葉と同じ意味と思いますが、私のところでは「定業能転」を使います。

四条金吾殿御返事には
「人の命は山海空市まぬがれがたき事と定めて候へども、又定業亦能転の経文もあり。又天台の御釈にも定業をのぶる釈もあり。」
とあります。

20hage:2009/01/30(金) 22:23:27
>>13たけぞうさんへ
私のところでは御宝前様のおかげという表現を使います。
御本尊様も御祖師様日蓮聖人も代々の先師聖人も含めて御宝前様という表現を使っているように思います。
御法様とも言いますね。

21そううそ:2009/01/31(土) 01:48:44
こんばんは。
たけぞうさん
はじめまして。

まず話が逸れていますよ。出来れば「私の」ではなく「日蓮の」
それと「日蓮正宗、創価、顕正会の」見解に基づく議論ををおねがいます。

>>17の文章で下記の所はほぼ賛成出来ますが、それ以外は疑問視しています。

>なんでもかんでも思考停止して信じていいものか。
(中略)
>孤独に信仰することで、教条主義を廃すると思います。

●これ以上立派な経文や仏教思想はない?

>四十余年未顕真実、これが四箇格言の始まり
>これ以上立派な経文や仏教思想はない

なるほど。
これ以上立派な経文や仏教思想はないのであれば、日蓮思想つまり日蓮遺文、
日蓮本尊を捨てて経文だけの修行実践すれば良い事になりますね。

●地獄の説明

>顕謗法抄(学会443)を読んでください。
>これでもかという程、地獄の説明がされています。

そうですね。地獄の説明がされていますね。

しかし顕謗法抄に書かれている地獄観は源信(天台、浄土 真宗 系)の「往生要集」の部分的引用であり、
顕謗法抄の地獄の説明は鎌倉時代における民衆が信じていた地獄観であったようですね。
「往生要集」自体が様々な経文を纏めた物のようです。

 そして当然、源信は浄土真宗、つまりは念仏ですから「往生要集」では
「 念仏を信じない人が地獄へ行く。」

 そして日蓮は法華経信奉者ですから「顕謗法抄」で「往生要集」を引用しつつ
「法華経を信じない人が地獄へ行く。」

法華経か往生要集か?題目か念仏か?が違います。しかし地獄は人が想像したものです。
法華経も往生要集も人が作った文章です。科学のように証拠や再現はありません。
特に法華経は自画自賛な一面もあります。

(地獄へ行く。と言う表現は問題があるかもしれませんがここでは仮にそう書いておきます。)

「 念仏を信じない人が地獄へ行く。」
「法華経を信じない人が地獄へ行く。」

こんなところに四箇の格言の問題がありそうですね。

ではでは
そううそ

22そううそ:2009/01/31(土) 14:41:16
すいません。
間違えました。

×
源信(天台、浄土 真宗 系)の「往生要集」の部分的引用であり、

源信(天台、浄土系)の「往生要集」の部分的引用。

×
そして当然、源信は浄土真宗、つまりは念仏ですから

そして当然、源信は浄土思想系、つまりは念仏ですから

23顕正居士:2009/01/31(土) 14:52:56
そうですね。そううそさんのおっしゃるようにスレ違いの話になっていますね。
それぞれ適切なスレッドに投稿なさるのがよろしいかと思います。

地獄は地球の内部が空洞である前提の地理観ですが、今日、地球内部が
空洞でないことは確認されています。

24れん:2009/01/31(土) 19:22:14
日蓮が、後世に四箇の格言と呼ばれる他宗批判を展開していった理由は、「法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔」(宝軽法重事、真蹟富士大石寺蔵)「本門教主寺塔、地涌千界菩薩別所授与妙法蓮華経五字」(南部六郎三郎殿御返事、日興写本・三位日順写本、北山本門寺蔵)を日本に立てることを目指し、目的にしていたからだと思います。

でなければ、あれほどの他宗批判を生涯続ける理由は見当たらないというのが、私が御遺文を通読したあとの読後感です。

25いちりん:2009/01/31(土) 23:00:27
「四箇格言」というのは、語呂がいいですね。
うまいこと他宗を挑発するキャッチコピーとしては、なかなかとしては、成功しているんだと思います。

ただ、「律国賊」というのは、どうなんでしょうね。
民衆に「律」がひろがっていたわけでもないし、むしろ攻撃するなら天台宗なんでしょうけど。

日蓮の天台宗批判で、うまいこと言うなあというのは「去年の暦」というやつです。

「設い天台・伝教の如く法のまゝありとも、今末法に至っては去年の暦の如し」(観心本尊得意抄)
いくら精緻に正確に美しく作られていても、去年のカレンダーでは役に立たない、と。

だから、
真言亡国
禅天魔
念仏無間
台暦(だいこよみ)
……というのが語呂がいいかなあと思ってもみたり。

26れん:2009/02/01(日) 10:33:28
観心本尊得意抄は四菩薩造立抄と同作者により、南北朝末期に、天目・日弁門流に対抗するため、中山で作成された偽撰遺文でしょうから、台家を過去の暦とするのは、日蓮滅後、日蓮門下が天台宗との相対化を目指すようになった後に作られたキャッチフレーズでしょうね。

ただ、日蓮最晩年の弘安年間には、既に日蓮門下と天台宗との軋轢(富木氏と天台僧との問答や駿河の日興並びに日興門下と天台宗寺院との対立)があり、総合仏教としての天台宗と法華本門への純化を目指した日蓮とは、日蓮の最晩年には相容れないものになっていたのは事実だと考えます。

27宮本:2009/02/01(日) 11:02:48
たけぞうさんへ
 「事務所経営やら、なんだかんだのストレスで精神異常になり、
自殺願望と他殺願望とパニック障害で、精神病院に入退院し事務所閉鎖に追い込まれた時。」
 たいしたものですね。この状態を克服するとは。
重い病は、病と経済的苦しみと、周りの家族の心労と重ってきますから
大変なことです。
 加えて、このやまいには、特効薬は、ありませんしね。
私の友人も心のやまいで、幻覚、幻聴、幻視といったこたが起こり、ついぞ
完治する事無く、薬ずけの毎日です。
 信心もすすめたのですが。こればかりは、強制できませんですから
どうにもなりません。

 完治して幸福なら、宗教など何でもいいじゃないかと思うのは、ちっと
諸兄より怒りをかうかもしれませんが。

28いちりん:2009/02/01(日) 11:22:04
>天台宗との相対化を目指すようになった後に作られたキャッチフレーズ

なるほど、偽書の可能性ありですか。
「去年の暦」で検索してみましたが、他にありませんね。
「去年の暦・祖父の履に譬え、或は法華経を読むは管絃より劣る」と「守護国家論」にありましたが、これは念仏者によって、法華真言が、去年の暦・祖父の履と難癖をつけられていると述べているところですね。

これは余談ですが、日蓮を探求していくとき、真筆、偽書、真偽未決が入り混じって、まことに面倒ですね。
思想性の中核に位置するであろうようなことが、じつは偽書、偽書の疑いの文書というのですから……。
そうなると、日蓮の研究は、はじめに文献学、書誌学、古文書学から、なんてことになってしまいますね。そうなるともう、疲れ果てて敬遠してしまう、と。

>総合仏教としての天台宗と法華本門への純化を目指した日蓮とは、日蓮の最晩年には相容れないものになっていた

天台宗は最澄のときから、顕密の二つのコースを設定しているわけですから、もとより総合仏教の大学ですよね。
いっぽう日蓮は、法華を中核にした仏教を再構築したかったのでしょうね。
そうして末法という時代背景、そして民衆の実践できる教えを求めた。
天台宗のようなプロフェッショナルユースの複雑な修行では、一般の人々は実践できないし、救われない、と。
なによりもう、末法には利益がない。
……ということで、「末法」という時代、「民衆」の実践という視座から、「四箇格言」に代表されるあのような激しい他宗批判を行うようになった。

29たけぞう:2009/02/01(日) 16:09:44

宮本さんへ
>完治して幸福なら、宗教など何でもいいじゃないかと思うのは、ちっと諸兄より怒りをかうかもしれませんが。

現在も、精神安定剤・抗うつ剤・パニック障害・睡眠薬等々薬づけの毎日です。
でも5年たち、自殺と他殺願望はなくなりました。
一時は、ランボーナイフを持って駅前に行き、無差別殺人の衝動を抑えるのに必死でした。
だから、日蓮聖人を尊敬し、唱題第一となっています。
そこに四箇格言が出てきました。
先にも書きましたように、私は大乗非仏説派ですから、法華経第一も認めません。
ですから、四箇格言も観念的には否定的です。
しかし、文証より現証となると、私の病気が他宗はで治ったのか。
いや、それより、病気に負けない自分、病気を治してみせるという決意と確信、これは日蓮仏法でなくては発生しなかったでしょう。
観念でなくて、生きている日蓮聖人の残した言葉として、開目抄を拝読すると、これは遺言状だなと思い、力強くさせてくれます。
四箇格言を教条的に捉えず、13世紀の常識だよと否定する自分、正直難しい問題だと思います。

30顕正居士:2009/02/01(日) 17:00:52
>>28
>日蓮を探求していくとき、真筆、偽書、真偽未決が入り混じって、まことに面倒ですね。

大石寺(創価学会)の遺文集でも真蹟ありは所在地が記してあったかと。でも上代写本*の有無は
記して無かったような。真蹟ありは真書、上代写本ありはほぼ真書、その他上古目録記載ありや
上古文献引用ありは全文信用できなくてもたいがい真書というのが外形的判断でしょう。

*その上代写本自体に疑いがあるケースはあります。「如説修行抄」(日尊)、「立正観抄」(日進)など。

この掲示板でもしばしば言及されている興風談所の御書システム http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/
は上記情報を詳しく記載の上、真蹟なしについて信用度を段階評価しており、外形的判断ですから
特に宗派的偏見も見られません。『桐』を買わなくてはならないのが唯一の欠点です。

31たけぞう:2009/02/01(日) 17:41:42

補足

先程、大乗非仏説だから法華第一も否定と書きましたが、矛盾している話しですが、信仰上は四箇格言を信じて、南無妙法蓮華経のみの立場です。

しかし、大乗仏教の成立史特に法華経成立史の研究課題となると、これは大乗非仏説をとらざるをえません。

32宮本:2009/02/01(日) 20:00:13
たけぞうさんへ
 学会の公式見解とは違う、私見ですので、参考になるかどうかわかりませんが・・・。

 >唱題第一、
まさしくそのとうりかと思います。ですから、矛盾を感じるようでしたら
唱題第一だけでも、いいのではないでしょうか。
 
 しかし、唱題の力は、私などの理解を超えた別次元の話かと思います。

 また、純粋な心からの正しい祈りや、人の正しい行いは、宗教の別なく良い結果が
その人にもたらせられるものなのだと思います。(日蓮系の宗風に合わないかな)
 自明のこですが、鎌倉時代と違い国際交流と高度情報社会の現代では、
四箇格言での他宗批判は、カバーしきれず無理かと思います。
いちりんさん御指摘のとうり「律宗」は、ほとんど存在感がありませんし。
 
 世に知られなくても宗教の別無く、りっぱな人はいますし
私が知らないだけで、たくさんの偉人、賢人、慈悲深い立派な人が
いるのが、この現世かと思いますから。

33たけぞう:2009/02/02(月) 13:43:13

宮本さんへ

先にも書きましたように、私個人としては、真言密教・念仏・天理教・オウム真理教・幸福の科学等へ生理的嫌悪感はありますが、批判はいたしません。
それは簡単なことで、それらの宗教を学んだことがないからです。
それは、折伏の時においても同じで、題目のすごさを訴えても、他宗批判はいたしません。
信仰は「信」から入りますが、だからといって、日蓮聖人のこと、又学会の言っていることをすべて信じなくてはいけないということはないと思います。
日蓮聖人は、己心に仏界がある、己心に本尊がある、これは信じなさいと仰せです。
これは、まさに無疑曰信で信じることでしょう。
しかし、四箇格言となると、13世紀の常識の上に成り立っているわけですから、現在の常識にのっとって考えると矛盾が生じます。
大切なことは、自分の目で御書を拝読し、自分の頭で思索することです。

>また、純粋な心からの正しい祈りや、人の正しい行いは、宗教の別なく良い結果がその人にもたらせられるものなのだと思います。
そのとおりだと思います。
今の日本はすぐに政治が悪い、社会が悪いといって、人のせいにする風潮があります。
自分の願いを心底から祈り、祈りきっていくという真摯な態度が欠如しています。
科学が進歩したせいで、自然に対する畏敬の念が損失しています。
そこまで、人間が傲慢になっていいのでしょうか。
正しい行いをするというのは、原始仏教では「業」といい、それをするために戒律があります。

>世に知られなくても宗教の別無く、りっぱな人はいますし・・・
学会は代々の会長を絶賛し、世の中の偉人のことは紹介いたしません。
学会内部だけにいますと、MCされてしまいます。
マザーテレサに代表されるような偉大な宗教人は沢山いるのです。
ごく当たり前のことです。
自分の信仰に確信を持つことは大切ですが、それによって他者を否定するのは違います。

34たけぞう:2009/02/02(月) 19:41:28

宮本さんへ

勝手に投稿しながら、自分自身疑問が湧いてきました。
四箇格言を否定するとなると、摂受折伏の折伏それ自体の否定になってしまうんですね。
現実は、無宗教の人が多いから、折伏と言いながら、仏教への勧誘というスタンスになってしまいます。
でも、オウム真理教や幸福の科学となるとそうはいきません。
と言って、オウム真理教や幸福の科学を学ぶ気もおきないし。
現場はどうなってますか。

35再挑戦者:2009/02/02(月) 20:11:43
、、、。 
 無学でウマ・シカ クラスですので 詳細は 不明ですが、、貴殿には ドーモ ?? です ナ。

横から、、だが、、。

 「宗教とは、? 難儀なな案件ですか ナ  」。 「、 人として、最上の人格が、(成仏)、存在、、じゃ ヨ、?、」、との 風聞から、小生は信仰の縁を有したが、ナカナカ 難儀?ではございまする ナ、、」、、
 そこ、かしこに 「甘い汁を 求めて、、??」、おかしな団体様 ? などがウジャウジャ 、、 とは知らなんだ、、。 

 世間には「 邪まな宗教 や ? == 誹謗正法 ? = 害毒授受 ? = 無間地獄 ? = 不幸の連続、? 」、ばかりにダマサル かたがた が多い ようですか ?
 
 目の前には、「よこしまで、、金儲けだけの ・ マヤカシ ? や 特定な人物を ? ”仮想なニセ仏 ?= 日蓮に? 持ち上げての、? インチキな ・ 団体様」、も存在のようです、。

 これら、 こそ、 最も、「排除され、、否定されても、、当然 」、、かも  ? (失礼)

36宮本:2009/02/03(火) 17:45:21
たけぞうさんへ
>現実は、無宗教の人が多いから、折伏と言いながら、
>仏教への勧誘というスタンスになってしまいます。
これでいいのではないかと私も思います。
といゆのは、人によりいろいろと入信する理由が違うものですから。
例えば、ただ寂しいのでという方もいるでしょうし。
立正安国論の理解の為とか、他宗の教学に疑問があるのでとか、
そんな動機で入信する人は、少ないのでないかと思いますし。
また、折伏といっても無宗教だと、その対象がないわけです。
(理屈を言えば無宗教といゆ宗教だなんていゆ人もいますが)

>オウム真理教
たしか、以前、学会員とオウム真理教との間で、激しいやりとりがあった
といゆ以外しりません。(テレビ報道は、見てますが)
 
>幸福の科学
出版物の多い教団で、ラジオで一部を聞いたぐらいしか知りません。

 御文の正確な引用が出来ず申しわけありませんが、
御書の中には、その一部を捉えて、現代語訳すると、ものすごく
過激な文章が、あったと記憶していますが、そのまま実行すると
周囲とトラブルが絶えず、現実の生活が不可能となります。

 例えば、私の家は、金光教さんの教会の正面の門と向かいあっていますし、
教会長とは、入信前よりの知り合いです。
町内には、他に真言宗の末寺もあります。
彼らと毎日、宗教論争しているわけでは、ありませんし、敵視して生活
しているわけではありません。みんな顔みしりです。家族構成も
だいたい知っています。

 四箇格言といっても、実際、使いませんね。学会では、教学の基礎とかで
ときどき見ますが。それより、仕事の悩みをなんとか解決してほしいとか
病気を治してほしいとかの要望が多いです。
(簡単に解決しているわけではありません)

37hage:2009/02/04(水) 21:47:16
>その一部を捉えて、現代語訳すると、ものすごく過激な文章が、あったと記憶していますが、

例えば、如説修行抄でしょうか?

末法という今の世は、闘諍堅固、白法隠没、すなわち闘諍が盛んで正しい真実の法が隠れてしまううえ、悪国、悪王、悪臣、悪民だけがはびこっていて、鎌倉幕府は正法である法華経の御題目のご信心に背き、邪法つまり間違った宗教と、その宗教を弘める邪師を敬い重んずるので、日本の国土には悪鬼が乱れて横行し、三災と七難が盛んに起こっているのです。
このような悪世末法という時に、日蓮が久遠本仏の命を受けて、この娑婆世界の国土に、生まれてきました。
しかし、時代が悪く三災七難が盛んに起こるのですが、法王すなわち久遠本仏のご命令に背くことはできません。
そこで、経文に任せて教えどおりに、仮の教えである権教と、真実の教えである実教との二教の戦を起こし、忍辱の鎧を着て耐え忍び法華経の剣をひっさげて、邪な教えを破り正しい教えを顕そうと、法華経一部八巻の肝心である妙法五字の御題目の旗を掲げて、釈尊が法華経を説かれる以前の四十余年は「いまだ、真実を顕わさず」と仏みずから経文に説かれていますが、これを弓として、「正直に権教を捨てよと」いう教えの矢をつがえて、人が乗る車の中でも最高級の大白牛車(法華経の教え)にうち乗って、権教の城の門をかっぱと破り、かしこに押しかけここに押し寄せて、念仏、真言、禅、律などの八宗、九宗の敵の人たちを責めたところ、あるいは逃げあるいはひき退いて耳を貸さぬものもあります。
あるいは生け取りにされたものは私の弟子となり、あるいは攻撃されて責め返したり、責めて落城させることもありますが、なんといっても多勢に無勢、敵は多く、法王方の日蓮一人に味方するものは少ないのです。そこで、今でも権教と実教のいくさは止むことがないのです。
「法華は折伏、権門は理を破す」との天台大師のお言葉、これは仏の金言と同じですから、その教えのまま、ついには権教や権門にしたがっている人々を一人残らず責め落とし折伏教化して、法王・・・久遠本仏のお身内として、天下のすべての人々が正法に帰依し、あらゆる宗教が統一されて、ただ一仏乗(すべての人を成仏させる唯一の教え)となって、妙法御題目がひとり繁栄するとき、世の一切の人々が南無妙法蓮華経とお唱えしたとしましょう。
そのときは吹く風も穏やかで枝を鳴らすこともなく、雨は静かに、適当な日にちをおいて降り、土壌を砕くこともなく、世は中国の古代の理想的な王として知られる伏羲、神農の治める世と同様になります。今生には三災七難など思わぬ不幸の災難もなくなり、人々は健康で長生きの術を心得るでしょう。
そして、この御法が栄え、それと同時に人々も心身共にご利益をいただき、人も法も衰えず永遠に輝く不老不死の道理が顕れる時をご覧なさい。そのときこそ、「現世は安穏にして、後に善処に生ず」の経文は現実となり疑うにも疑えないものとなるでしょう。

38宮本:2009/02/05(木) 12:34:15
hageさんへ
 初めての意見交換となりますね。
宜しく。御願いします。
>如説修行抄
 あらためて昨日、よんでみました。
で、
>権教や権門にしたがっている人々を一人残らず責め落とし折伏教化して、・・・
ですね。
 まず、実際、御自身、できますか・?
 この御文を真筆(本物が現存すると仮定して)と仮定して。
また、これは大聖人(日蓮大聖人)の論文なんで、あくまで意見であるとするか?

で、上野殿御返事(別名、竜門御書)の中に
・・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、・・・
なんてあります。

 実際、自分は、出来ません。

まず、hageさんの八品派のこと私は何もしりませんが、(違ってたらごめんなさい)
基本の勤行とか、できてますか?(そのようなものがあるのか存知ませんが)
また、折伏教化していますか?

 残念ながら、私の担当組織(創価学会)では、私の信心のなさが原因
なのか、勤行、折伏は、3分の一も実践出来て無いと思います。
ですから、命をすてよ・・とかできませんですね。
また、そんな話しませんしね。

39たけぞう:2009/02/05(木) 12:55:38

宮本さんへ

御書を拝読して、いつも思うのですが、私が日蓮聖人在世中生きていたら、日蓮門下になって信心出来ただろうか。
あの激しさの折伏に、正直いって私はついていけません。
でも、熱原の法難のようなことが起きれば、意外と命を捨てるかもしれません。
矛盾してますが、正直な感想です。
死にがいということを考えますが、法のために死ぬというのは、一つの憧れです。

40宮本:2009/02/05(木) 13:00:18
つづき
 「四箇格言」ですが、
先日、朝、子犬の連れて、てくてくと散歩する真言の寺の住職に会ったのですが、
方論対決とか、しておりませんし。寺の門前に立って、説法したことなど
ありません。
ですから、「律」宗の寺もありませんから、「四箇格言」でなく、
かってな解釈で「二箇格言」ぐらいの実践ぐらいしか出来ません。

41宮本:2009/02/05(木) 14:14:00
訂正です
  誤・・子犬の
  正・・子犬を

たけぞうさんへ
>あの激しさの折伏に、正直いって私はついていけません
ついていく必要ないと思います。
 仏だからほっとけばいいのです。(笑い)

 時代が違うのでは、ないでしょうか。
 聖教新聞を見ても、いいと思う部分だけ参考にすればいいですしね。

42宮本:2009/02/05(木) 14:16:21
追加訂正(40)
 語・・方論対決
 正・・法論対決
         です。

43たけぞう:2009/02/05(木) 16:59:33
hageさん、こんにちは

八品派というのは、日蓮宗の中で何が違うのですか。
教えてください。

44たけぞう:2009/02/05(木) 17:12:37

宮本さんへ

>仏だからほっとけばいいのです。
私、妙に几帳面な所があって、若いときは本当に地涌の菩薩の再誕だと思って社会に適応できずに困ったり、夜の勤行前に酒を飲むのは厳禁ということで。人と飲み会にいけなかったり、そんなことで一度信仰ノイローゼになったりしました。
もう40年位前の話ですが、私が会合にでないもので、副会長が個人指導にきましたが、彼の池田先生に対する態度が軽率なので喧嘩したり。
今は、逆に学会の組織が軟弱なため、組織に適応できずにいます。
約40年組織活動していなかったのですが、5年前今の所に引っ越し、これ幸いと一からやり直しということで、地区部長と支部長が来訪してくれました。
ところが、そこで3時間も彼らを指導してしまい、それ以来誰も声をかけてくれません。
どうも、社会や組織に適応できずにいます。
しかたなく、ネット座談会をやってます。

45宮本:2009/02/05(木) 19:35:20
たけぞうさんへ
>そこで3時間も彼らを指導してしまい、それ以来誰も声をかけてくれません。
実は、これには、理由があります。
御存知かもしれませんが、1地区は、約40世帯前後ぐらいから百数十世帯単位と
なっております。
 定数単位となっておりません。(私の知る限りですが)
で、
地区幹部から見て、どうしても、取り組みやすい人、
若い人、急をようする人が優先となります。
それで、
>それ以来誰も声をかけてくれません
となります。
要するに地区幹部は、組織運用効率といゆう固定観念に影響されます。
ところが、同生同名御書の末尾に
>人の身に・・・仏説き給う、
とありますから
宗教活動であれば、本来、効率は、考えなくても良いのです。
(理解しにくいかもしれませんが)
ただ、実際には、手がいきとどかないのです。
>組織に適応できずにいます.
組織に適応する必要は、ありません。
組織は、大切なものとは思いますが、御本尊様とは、違いますから。
(信仰の対象そのものでは、ありませんから)
で、問題は、周りに人が、少ないですから
 信仰がうまくできるかどうかだけでは
ないでしょうか。(この私の考えは、異端の学会員だと言われそうですが)

 以下は余分な話ですが、
 ネットで、罰論を言う学会員が、若い人にいるかもしれ
ませんが、末法の凡夫にそのような特別な力は、ないのでしょうか。
で、一般的に、まるまるしないと、地獄におちるなんてことは、
教学力が、貧弱だからで、無知だからです。
ここのサイトで、犀角独歩さんや、いちりんさんや、その他の諸兄に何故、
罰論を言う学会員が
いないのか?
 教学力では、かなわんからでは、ないでしょうか。

ためになるネットなら、ネット座談会で、
マイペースでいいのではないでしょうか。

46宮本:2009/02/05(木) 19:53:03
訂正
  誤・・・末法の凡夫にそのような特別な力は、ないのでしょうか。
  正・・・末法の凡夫にそのような特別な力は、ないでしょうから、
      脅迫的な言葉など、とんでもない話です。

47たけぞう:2009/02/05(木) 21:01:13

宮本さんへ

早速の返信有り難うございます。
話題が四箇格言からはずれますが、書かしてください。
私の家に御本尊がまつられたのは、私が中学3年生の時でした。
母親が法華講に入信したのです。
私は何故か中学1年の頃より宗教に興味を持ち、図書の時間はキリスト教の本ばかし読んでいました。
そして、家の者が寝た後、こっそりと仏壇に向かって見よう見まねで勤行を始めました。
それが家族に分かり、入信ということになりました。
法華講の活動は、月1回の御講です。
高校2年生の時、法華講の活動が物足りなく、両親の反対を押し切って創価学会に入りました。
父親の事業が倒産したためお金がなく、自転車で片道2時間かかる地区の拠点に足を運び活動を始め、大学に入ってからは気が狂ったように学生部の活動をしました。
 (今にして感ずることは、この若き日の薫陶により、学会精神が自分のものになり、孤独の信心でも続けられてと思います。)
学生部の活動は、24時間全て活動というかんじでしたので、役職も上の方に行き、信濃町の本部の出入りも激しくなりました。
4年生の選挙の時、裏活動で秋谷さんのもとで働くことになり、直属の幹部が後日正本堂ご供養返還訴訟をおこした松本参謀でした。
そこで、純粋な大学生が見てはいけない、大人の学会の裏みたいなものを見てしまったのです。
それから、組織から遠ざかり、最終的には高等部の幹部という席に落ち着きました。
学生時代活動ばかしやっていて、てっきり本部職員になるものと決めていたのに、それが駄目になり、就職に失敗し、2年で5回転職いたしました。
その時は既に結婚していて、最後には妻の実家の事務所に潜りこみました。
そこが、司法書士事務所だったのです。
私は工学部卒なもんで、法律は1ページからやらなくてはいけない。
完全に活動を辞め受験勉強に入りました。
24歳から勉強を始め、30歳の最後の時は今回駄目なら諦めようということで、仕事を早めに終えさせてもらい、毎日3時間の題目と勉強に明け暮れました。
そして、合格、すぐに独立開業。
30歳から57歳まで、仕事中毒の人生で勤行だけは続けていましたが、活動は全く停止。
人間にとって生きる意味とは、これは学生時代からのテーマで、仕事をしながらそういった種類の本は貪るように読んでいました。
それと、元来持っている鬱病、鬱病が身体に表れる不定愁訴、そのため心理学の本やいろんなセミナーにも出席しました。
45歳頃より不眠症が始まり、段々と精神が不安定になり、57歳で爆発。
以前書いた、自殺願望と他殺願望とパニック障害。
精神病院に入ると心が安定する、これは一生精神病院でくらすのでは、そこで入院した時の生活設計を家内と相談し、自宅を売却し、ワンルームマンションを買い、その家賃収入で暮らそうと決めました。
と、簡単に書きますが、その間精神が不安定なもので、紆余曲折、本当に身体を御本尊に投げ打って、無心で唱題する日々。
前が全く見えない状態、まさに難を乗り越える信心、唱題して仏智を頂くしかないという状況で、事務所を閉鎖し、自宅の売却をすすめていきました。
自宅もやっと売却し、ワンルームマンションも買い、私達は公団に入りました。
それでも続く精神の不安定、自殺未遂の未遂は何度も。
精神科クリニックというのは適当なもので、殆ど病状を聞いてくれない、そして適当に薬を出す。
副作用に当たることもありました。
そんなわけで、お医者さん巡りも9軒目、やっと真剣に話しを聞いてくれるお医者さんに当たり、そこでかなりの量の薬をもらい、やっと目処がたったわけです。
生活費の心配がないので、いわば定年退職みたいなもの、今までやり残したことということで、図書館に行きごっそりと本を借り、殆ど毎日1冊のペースでの読書という生活を4年間送りました。
昨年になり、読書にもいい加減あき、今後の余生どうしようかと試行錯誤を続け、はたと気がついたのです。
50年間信仰しているが、信仰と正面きって考えたことがない、御書は高校生の時に通読しただけ、後は虫食い状態での拝読。
ずっと疑問に思っていた日蓮本仏論、そして日寛教学。
学会教学を一度リセットして、御書を最初から精読しよう、ということで現在御書の拝読をすすめています。
現在62歳、どこまで日蓮聖人と仏経に肉薄できるだろうか。

48再挑戦者:2009/02/05(木) 22:34:16

 、、、。  諸の賢者のかたがた、ご機嫌は 御麗しゅうかと、存知、、まする、、。

 さて、、、あの「五輪書、、」で有名な方をご記憶、、でしょう、、か、、?

 そうです、、” 宮本、、武蔵、、== (別名は、、たけぞう、!!)”、、。

 何かが、、??? ?? でしょうか、、???? 隠れ、?? 様 の徘徊、、が 散見、、かも、、?? (ゴメンなされ、、)。

49いちりん:2009/02/05(木) 23:08:44
再挑戦者さん

真摯に書き込みしている方に、意味不明な余計なちゃちゃをいれないほうがよいですよ、失礼だと思います。

自分自身の体験を表現するっていうのは、とても勇気もいるし、危険なことでもあるんだから。

50再挑戦者:2009/02/05(木) 23:30:48
、、、失礼、、おば、、いたしました、、。
 陳謝を申しあげます、、。  ゴメンしました、、。

,

51hage:2009/02/05(木) 23:59:24
>>38
宮本さんへ、こちらこそ宜しく。御願いします。

「我不愛身命 但惜無上道」でしょうか?なかなか難しいですね。
御看経も折伏教化も満足には出来ていないのが現実です。

>>43
たけぞうさんへ
私のところでは、このような御指南があります。

本門の肝心、寿量品の肝心、又肝要、南無妙法蓮華経の五字は(下種之法)
本化上行本門八品の間に来還して之を請取り下ふ。
故に一品二半は迹中之本、在世の脱益也。
此は但題目の五字末法下種之大法也。

一念三千は文底秘沈也。これをさとるには智解なり。
末法の幼稚の為に智解の観門は不相応也。
されば仏大慈悲を起して妙法五字に文底の三千を納めて、
神力品にして上行所伝して末代の凡夫に信行せしめ給えりと
云ふ事を本尊抄の結文に定め給へり。
以信代慧これ也

されば末代名字の凡夫が本尊は塔中の妙法蓮華経也。
如是本尊但限八品これ也。
塔中の五字は地湧の菩薩へ御付嘱也。
所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字也とは法華取要抄にあそばされたり。

これ本門の肝心也。寿量品は肝心に非ず。
本門八品は滅後末法へ妙法五字を上行所伝し流通し給ふ教相也。
故に流通の一段末法の明鏡也と四五抄に遊ばしたり。


「四箇格言の功罪について」のテーマと離れてしまうので
別のところで説明させていただくほうがよいかもしれませんね。

52再挑戦者:2009/02/06(金) 00:37:15
  28 いちりんさん。

 貴方自身は、、一体 どのようにお考えか、、、?

 日蓮の確信と中心的な核なる、、「四固の格言、」、、ですよ、、。

 それを、、疑問視、、なさるならば、、「日蓮の魂、からのオチコボレ、」、を意味しましょうか、、?

 貴殿らは、、「日蓮の”観心の本尊抄”」を、今一度 考察、、されたい、、!

 無理、、か ナ、?

53宮本:2009/02/06(金) 12:30:19
いちりんさんへ
 49の発言、ありがとうございます。

54たけぞう:2009/02/06(金) 13:15:12
hageさん
宮本さん

提言です。
話している内容が四箇格言から随分とそれてしまいました。
でもまだ、hageさんの説明は聞きたいし、宮本さんとも対話を続けたいので、スレッドをつぶやきすれっど2 に移転しましょう。
そこでフリーになって、続けませんか。
それから、最古参のいちりんさん、あなたの発言も期待しております。

55宮本:2009/02/06(金) 13:42:57
たけぞうさんへ

>精神科クリニックというのは適当なもので、殆ど病状を聞いてくれない、そして適当に薬を出す。
>副作用に当たることもありました。
>そんなわけで、お医者さん巡りも9軒目、やっと真剣に話しを聞いてくれるお医者さんに当たり、そこでかなりの量の薬をもらい、やっと目処がたったわけです。

現状は、そういった上記のようなケースが、多いです。
精神科医には、問診、投薬、注射、点滴と後、外科的処置以外に方法が
ないのです。(私の知るかぎりですが)
もちろん、医学は、進歩していますから、最新の医学については
わかりませんが。

 たけぞうさんは、読書家であり、知識人でもあるので、
医学的なことは、ほぼすべて御理解されておられると思います。


>50年間信仰しているが、信仰と正面きって考えたことがない、御書は高校生の時に通読しただけ、後は虫食い状態での拝読。
>ずっと疑問に思っていた日蓮本仏論、そして日寛教学。
>学会教学を一度リセットして、御書を最初から精読しよう、ということで現在御書の拝読をすすめています。
>現在62歳、どこまで日蓮聖人と仏経に肉薄できるだろうか

上記の方向性で、マイペースで、やられていけば、
いいのではないでしょうか。

今日の朝10時、二人の壮年部と共に、勤行しました。
一人の方は、39才で独身、障害者2級(精神病)で、生活保護、妹さんは
36才で筋ジストロフィーで寝たきりです。
 入信してまだ数年、大変です。では、また。

56たけぞう:2009/02/06(金) 14:19:51

信濃町の創価学会本部にも大石寺にも、お稲荷さんは祀られていません。
信者の家に神棚はありません。
この事実は、五重相対がいきわたっているからです。
五重相対は、五時八教が前提になります。
>どこぞの教団は、いまでも教学試験で五時八教を教えるそう。もう、赤面してしまいますよね。
こうした発言もありますが、釈尊が一代聖教を五時八教の形で説いたというのは、日蓮聖人の観念の中には主観的歴史的事実です。
この日蓮聖人の把握している主観的歴史的事実をどうとらえたらいいのか。
日蓮仏法の前提をなす部分ですので、信仰的にはそのまま取り入れるしかないと思われます。
その意味で、謗法厳禁のキャッチフレーズとして四箇格言は有効でしょう。
しかし、これが折伏の中に入ってきてもいいのかというと疑問が生じます。
一つには、五時八教が客観的歴史的事実でないこと、二つめには他宗批判するさい、他宗のことをよく研究したかということです。
一つめの客観的歴史的事実でないことは大きな問題で、仏教の正統派を主張するには余りに前提が脆弱です。
そもそも、人間の造ったものに唯一絶対というものが存在するのか。
本人が自分の信仰として唯一絶対として信仰することは誰も攻めませんが、それを他者に言う言葉となると疑問が生じます。
ましてや、地獄に堕ちるなどという表現は、今の現代社会では禁句ではないでしょうか。
入信まもない人が、盲目的に日蓮聖人を信じ、御書のとうり発言することは、価値観の変容ということで一時は必要なことと思います。
しかし、そのまま教学を学ばずその発言を繰り返すということは問題があり、創価学会も主観的歴史的事実と客観的歴史的事実の整合性を検討すべきだと考えます。
二つめの他宗をよく研究したかということになると、創価学会としては何らの研修もなく、個人の裁量にゆだねています。
そして、折伏精神だけが強調されるということは危険なことだと解釈します。
御書を拝読しますと、日蓮聖人は他宗についてよく研究されており、その上での折伏です。
仏教というものが形骸化された現在、折伏即ち折り伏すといことになると、相手はオウム真理教であったり幸福の科学であったりするわけですが、今の学会にはそうした教団への折伏には興味がなさそうです。
どうやら、折伏面での四箇格言は死語となりそうです。
創価学会は、SGIとして海外広布を実践しています。
そうした中で国内版教学と海外版教学が違うというのは矛盾が生じます。
アメリカやヨーロッパに行って、四箇格言は無いでしょう。

以上、個人の信仰として四箇格言は有効であるが、現代において教団運営上の四箇格言は検討の余地ありと思われます。

57宮本:2009/02/06(金) 14:41:32
つづき
 で、このマイペースにやるのが、難しいという場合があります。
 ここからが、人により違うのです。
 時に心と体がばらばらになるから、体が思うように動かないですから。
 ただ、たけぞうさんの場合、御本人の心力、行力と家族の力がありますから
 ちょといいのです。
 例えば、同じ宿命の人を一人に限定して幸福になる手伝いをする。とかで、
 良い方向に向かいます。
 会員でも会員でなくてもいいのです(ひとによりいろいろなケース
 がありますので参考にならないかもしれません)
 また、入信しようがしまいが、関係ありません。
 組織の流れに同調する必要はありません。
(通常と逆のポジションなんで、ちょっとわかりにくいかもしれません)
 上に僭越ながら、書いたのは、ひとつの例であって、私の私見であり
 ます。これが、正解ということではありません。
 試行錯誤して、修正して、またやってみるの繰り返しのなかから
 正解をみつけていくからです。

58たけぞう:2009/02/06(金) 15:10:13
宮本さんへ

スレッドをつぶやきすれっど2 に移転しました。

59阿佛棒:2009/11/02(月) 03:41:28
真の末法である現在こそ新たな四箇の格言が必要なのであります。

ターゲットは当然世界宗教であるキリスト教イスラム教ヒンズー教そして民主主義思想であります。
ああ、でもこれを書いちゃうと世界中を敵にまわすことになり大迫害間違い無しなので恐くて書けないや。

日蓮ばりに折伏行を行おうという勇気とド根性は俺にはない、
だって切り刻まれて香田君みたいになるのは必定だもの。

恐いぜ恐すぎるぜ

折伏はあまりに恐し、我ら摂受行でいきましょう。命は惜しいw


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