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大石寺戒壇板本尊の歴史について
60
:
犀角独歩
:2010/03/06(土) 19:18:18
まだ、こんな形で信じ込んでいる人がいるわけですね。
まあ、わたしもそうでしたから、昔の自分を見るようで、微笑ましいというか、気恥ずかしいというか。
この条々事に係る一連の話は、問答さん、れんさんほか、皆さんが充分に解析をし、大石寺の言うことは、まったく作り話であることははっきりさせた件ですね。
過去ログを読んでから投稿すればよいものを、信徒会員は、自分たちの集団の文章しか読めないために、こんな調子になるんでしょうね。
北斗さん、問答さんは、条々事偽書としてお書きになっている。
当然なのですが、偽書と言うことはとりあえず、置いて、55に
> 弘安二年の大御本尊…本門戒壇の大御本尊様…それ以外にある可能性は、0%
ということについて、過去の議論を振り返りながら、整理して書きましょうか。
この「弘安二年本尊」については、大石寺4代日道師の書とされる『御伝土代』に書いています。
「弘安二年…熱原の法華宗二人は頚を切れ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばすのみならず日興の弟子日秀日弁二人、上人号し給ふ」
そして、この本尊につき
「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云」
というわけですね。
第31世因師は『有師物語聴聞抄佳跡 上』のなかに
「本門戒壇の御本尊、寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分、厚弐寸弐分御首題御勧請皆金薄入りなり、仏滅後“二千二百廿余年”等と云云』(富要1-251)
と書いています。つまり、大石寺の歴代が、戒壇本尊には「二千二百二十余年」と書かれていると明言していますが、日道師の書とされる『御伝土代』に「二千二百三十余年」だというわけです。
つまり、条々事でいう「弘安二年」本尊が、戒壇本尊である可能性は100%ないというのが、先行議論でした。
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